また、「諦念」という言葉もあります。これは「道理をさとる心」(広辞苑)です。こちらの方が深い感じがしますね。

 中国明代の洪自誠が儒教の思想を中心にして、老荘、禅学の説を交えて書いた人生指南の書『菜根譚』(中村璋八・石川力山=訳注、講談社学術文庫)には、以下のような教えがあります。

「一歩を先んじようと争う小道はますますせまくなる。自分はほんの一歩だけ退いて人よりおくれて通るようにすれば、自然に退いた一歩の分だけ広く平らになって通りやすくなる」

 さらにこういう教えもあります。

「物を必要以上に得たいと思う人は、黄金を分けてもらっても、玉をもらえなかったことに恨みを抱くし、(中略)冨貴で大きな権力を持つ身分になりながらも、自分からこじき同然の心に甘んじているのである」

 周囲への気配りに始まって、足るを知るを経て、随所に主となる境地に至るということでしょうか。

「随所に主となる」は臨済宗の開祖・臨済義玄の語録『臨済録』に出てくる言葉です。

「どんな境遇におかれても、常に自己の主体性を確立して、何ものにもとらわれず、いつも自由自在のはたらきをすること」(『佛教語大辞典』中村元、東京書籍)なのです。

 そこまでいけば、ナイス・エイジングの極致だと思うのですが。

週刊朝日  2020年5月22日号

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帯津良一

帯津良一

帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意」(朝日新聞出版)など著書多数。本誌連載をまとめた「ボケないヒント」(祥伝社黄金文庫)が発売中

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