馬場さんからは家庭を大切にするという教えをもらったけど、俺が影響を受けた人がもう一人いる。それが、相撲部屋の先輩力士だった大文字関だね。彼は俺の10歳年上で、元々プロレスラーだったんだけど、ガタイがいいからって相撲を勧められて力士になったという、俺と真逆のキャリアの持ち主。道理で、ぶつかり稽古の時の受け身の取り方がうまいわけだよ。あれは天下一品だったね。

 大文字関は京都出身だから、関西弁で面白い話をたくさんするし、話し方も面白い人でね。福井の田舎から出てきた中学生の俺はすぐに影響されて、真似をするようになるわけだ。ただ、その影響か今でも大文字関のような口調でしゃべると、同じ京都出身の女房からは大ひんしゅくだね(笑)。

 天龍源一郎は寡黙なイメージ? たしかに俺自身も“福井出身で無口な男”というキャラクターで通した部分はあると思う。それと同時に「プロレスラーだからイカツイ、ゴツイ」というイメージとプラスアルファで茶目っ気も持ち合わせていたいなと思っている(笑)。

 大文字関もイキっている部分と茶目っ気のある部分が混ざった人だったなぁ。俺が付け人をしていた時代、昭和39~40年(1964~65年)頃はよく銀座に飲みに行かれてて、帰る頃になると、部屋にいる俺宛に大文字関から電話がかかってきて「そうめんを湯がいておけよ」って言いつけるんだ。飲んで帰ってきたら必ずそうめんを食べる人でね。そのそうめんも、一口で食べる分だけ小分けにしておかなきゃいけないし、出汁も昆布と椎茸でちゃんと取ってないと怒るし、まぁうるさかったよ。それを夜の10時頃からやらされて、食べる時になると俺ら若手を起立させて、「どうだ嶋田! 俺は美味しそうに食ってるか!?」って聞くんだよ。こっちは朝5時とか6時に起きなきゃいけないから眠て眠くて、しょうがないから「美味しそうに食べています!」って言うと、「そうか!」って機嫌よさそうに食べて。そして毎回必ずそうめんを少し残して「お前たち、残りは食っていいぞ」って言うんだけど、その頃になると夜中の1時か2時で、こっちはそんな時間にそうめんなんか食いたくないよ! まったく面倒くさい!

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改めて思う、俺にとっての”宝物”