その後、4月18日に日本感染症学会による「私たちの経験と英知を結集して」と名づけられたシンポジウムが行われた(せめて「経験と“知識”」くらいにとどめられないのか)。そこでは専門家が、PCR検査の限界がきたときに、検査を受けさせろ!と大衆が病院などに押し寄せ「一部の人は興奮して大声をあげるような状況になるのは容易に想像できる」と警戒する図を公表していた。
「日本モデル」の「成功」とは、大衆が暴徒化せず医療現場が崩壊していないことを言うのだろうか。確かにアメリカやブラジルの惨状をみれば、日本はマシなのかもしれないが、それは講じられた対策のおかげなのだろうか。むしろ東京と都市の規模としてほぼ同じソウルで6月1日現在の死者が4人、東京305人の違いの方が、大衆にとってリアルな恐怖だと思う。日本モデルの責任者は誰だ。
今月の給料がゼロになるかもしれない恐怖を、コロナ対策をしている政治家や、専門家たちは、どれだけ想像できるのだろう。不安に支配され、事実を知りたい、未来を描ける展望がほしいとのぞむ大衆を、パニック予備軍としか捉えず、仲間たちで「私たちの英知」「日本モデル」と誇り高く胸を張る天空の方々に、地面に転がる無数の缶チューハイの空き缶は見えているか。この国の英知はどこにあるのか。