しかし、この間、例外はあった。

 1970年代前半、国立の新設大学、新設学部で4月にスタートできなかったところがある。1973年に誕生した旭川医科大、山形大医学部、愛媛大医学部の入試は10月に行われた。旭川医科大の資料には次のように記されている。

「当初は1973(昭和48)年4月開学の予定であったが、設置の前提となる『国立学校設置等の一部を改正する法律』の国会審議が大幅に遅れたため、開学は9月にずれ込み、授業開始は11月であった」(旭川医科大学研究フォーラム7:Suppl.2006)

 三つの大学の学校史によれば、入学式は11月5日に行われている。当時、1県1医大政策が進められており、国立大学の医学部新設ラッシュで、当然4月開校をめざしていた。だが、国会審議をめぐって与野党間で荒れることが多く、新設大学、学部はその犠牲になってしまう。

 翌年も同じようなことが起こった。1974年に設置された浜松医科大、宮崎医科大(現・宮崎大医学部)、広島大総合科学部の入試は6月に行われている。国会審議の遅れによって、大学、学部が正式に認可されたのは6月7日だった。入試は6月22、23日(宮崎医科大は23日のみ)に実施。 合格発表は6月末で、入学式は7月上旬にずれ込んでしまう。受験雑誌はこう伝えた。

「やっと国会を通過して新設なった浜松医科大、宮崎医大、広島大総合科学の入試がこのほど実施された。季節はずれの入試とあって、受験生の表情もゆったりしていて、受かればもうけものと言った感じであった」(『螢雪時代』1974年8月号)

 1973年11月、74年7月に入学した六つの大学、学部の学生については、1949年入学者と同様、卒業時期を先に延ばしてはいない。3月で学士課程を修了し卒業している。帳尻を合わせるため、とくに医学部は5年と数カ月で6年分のハードなスケジュールを課したのは想像に難くない。

 大学入試の歴史を眺めると、大学にとって不可抗力の事態が起こって入試がスケジュールどおりにいかなくても、案外、柔軟に対応していたことに気づく。

 2021年の入試時期について、とくに高校サイドから延期論が出ている。これは制度としての「9月入学」の議論とは切り離された主張である。2021年入試に限って受験生を救済することを目的とした臨時的、例外的な措置を求めたものだ。入試に関する時限立法といえようか。

 今回のようないわば非常事態が起こったとき、大学入試は2~3月、大学入学は4月にこだわらず、入試スケジュールを見直すなど柔軟に対応してもよい。たとえば、6月あるいは7月入試、7月あるいは8月入学を考えていいのではないか。

(文/教育ジャーナリスト・小林哲夫

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