波瀾万丈の人生を意気揚々と生きる漫画家、ヤマザキマリさんが作家・林真理子さんと初対談。「自分でもウソを並べてるみたいな気持ち」と笑いながら語る、ヤマザキさんの破天荒すぎるエピソードの数々に、マリコさんも大いに引き込まれました。対談は初対面と思えないほど盛り上がり──。
【漫画家ヤマザキマリ、日本の「透明な同調圧力」を指摘 「テルマエ」でひと悶着】より続く
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林: 14歳のときにヨーロッパに一人で行って、今度は17歳のときにフィレンツェの美術学校に留学したんですね。そして詩人と恋愛して一緒に住んで、インテリの人たちと、毎晩サロンで侃々諤々やってたんでしょう? すごいですね。岸惠子さんどころじゃない(笑)。
ヤマザキ:須賀敦子さんの『コルシア書店の仲間たち』に近い環境だったと思います。
林:まだまだ若いヤマザキさんが、最高の知性の人たちの話、理解できたんですか。
ヤマザキ:なんにもわからなくて、みんなにバカにされ、「日本人なのに日本文学も読んだことないのか。そんなに無知で何を表現するつもりなんだ」と言われて渡されたのが安部公房の『砂の女』のイタリア語版で、「まずこれを読め」って。それを機に私はイタリアにいながら、日本文学にハマっていったんです。
林:イタリア語はできたんですか。
ヤマザキ:辞書と首っ引きでした。でも私が17歳だとか、イタリア語ができないとか、誰も配慮しない。南米から亡命してきた人とか中東の紛争を経てきた作家とかが集まってるんで、私の甘ったれた涙なんて、ぜんぜん容赦しないんです。私が乗り越えられることを見越して、どんどん非難をするわけです。
林:ほぉ……。
ヤマザキ:しかも、私のフィレンツェでの身元引受人だった当時七十いくつのおじいさんがそのサロンの主宰者で、彼はジャン・コクトー(詩人、作家、映画監督、画家と多彩に活躍したフランスの芸術家)とも知り合いだった人で。イタリアがまだホモセクシュアルに対して強い偏見を持っていた時代に、イタリアにおけるホモセクシュアルの文学を最初に著した作家でもあって、そこは同性愛者が集まる世界でもあったんです。