林:ヴィスコンティ(「ベニスに死す」などで知られるイタリアの映画監督)の世界ですね。

ヤマザキ:そうです。ヴィスコンティも同性愛者ですが、彼と仲良しだった男性も、サロンに来てましたね。

林:夢のような世界です。そこでいろんな知識を手に入れることができたわけですね。

ヤマザキ:教養面ではいつも栄養を与えてもらえました。ラッキーだったなと思います。でも、詩人と絵描きなんてお金の生産性はゼロですからね。家に帰っても電気、ガス、水道もなく、食べるものも冷蔵庫に入ってないし、餓死の危機を何度も感じました。そのころ、日本はちょうどバブルのど真ん中で、私は日本人観光客のアテンドとかのバイトをしてたんです。恋人の詩人を養うために。そして毎日大ゲンカ。

林:で、結局その詩人とは……。

ヤマザキ:11年暮らして、11年目に妊娠したんですが、そのとき私、キューバでサトウキビ刈りのバイトをしてたんです。だけど子どもが生まれて、私は詩人と別れたんです。

林:なんで別れたんですか。

ヤマザキ:だって二人も養えないですから。この惨憺(さんたん)たる世の中に何も知らないで生まれてきた子どもを見たときに、「いま私がやるべきは、前向きに生きている私をこの子に見せることだ」ということしか頭になくて、「子どもを健やかに育てたいので別れたい」と詩人に言って。

林:そこがふつうの日本人と違いますよね。多くの場合、「この子を父親がいない子にさせちゃ可哀想だから、私さえ我慢すればいい」ってなるけど……。

ヤマザキ:皆さんそう言います。結婚していたわけじゃないし、子どもも欲しいわけじゃなかった。でも詩人の人間性や感性は敬っていましたから、産もうと思ったんです。でも、彼へのそうした気持ちと、毎日のケンカでボロボロになりながら一緒に暮らすのは別のことだと思って。

林:その詩人の人、そのあと有名になったんですか。

ヤマザキ:いや、ならないです。子どものためにしばらく何か送ってきてたんですけど、突然、音信不通になって。そのとき私は北海道のテレビでリポーターをしたり、いくつかの大学でイタリア語を教えたりしてたんですけど、私の事情を知っている生徒さんがイタリアに旅行に行ったとき、夜中に電話かかってきて、「先生、詩人の人結婚してました! しかも日本人の女性と」って。

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