17歳でフィレンツェの美術学校に留学して以来、海外暮らしの長い漫画家、ヤマザキマリさん。作家・林真理子さんとの対談では、14歳年下の夫や子どもとの暮らしから、新型コロナウイルスへの捉え方まで幅広く語ってもらいました。
【漫画家ヤマザキマリ 恋人養い餓死寸前、その後の結婚も…ウソみたいな本当の話】より続く
* * *
ヤマザキ:当時カイロ大学に留学していた彼と在カイロ・イタリア大使館で結婚しました。
林:えっ、ほんとにあのカイロ大学にいたの?(笑)
ヤマザキ:はい、ほんとに在籍してたんです(笑)。彼は比較文学というのをやってたので、エジプトのあとはシリアのダマスカスに引っ越して、その後は、イタリア経由でポルトガルのリスボンに移住、ポルトガルからアメリカのシカゴで暮らして、その後再びイタリアに戻って今に至る。
林:ひょえ~。それぞれのところでちゃんと適応できたんですか。
ヤマザキ:私と夫は適応できても、子どもは大変ですよね。住む国が変わるたびに現地校に入れられるから。
林:「何カ国語しゃべればいいんだ」みたいな(笑)。イタリア語、日本語、英語……。
ヤマザキ:それとポルトガル語ですね。でも全て必要に応じて身についた言語です。社会に受け入れてもらうにはその土地の言葉を駆使するしかないわけで。
林:お子さんは今ハワイにいらっしゃるんでしたっけ。
ヤマザキ:ハワイ大学を卒業して、最初はハワイの大学院に残ると言ってたのに、「その前にちょっとほかのことをしてから行きたい」と言いだして、いったん日本に戻ってきたんです。だけどすぐネパールとかラオスとかいろんなところに行くから、どこにいるのかよくわからない。
林:グローバルって言葉、もう手アカがついて好きじゃないけど、それをラクラクとやってるんですね。
ヤマザキ:私もグローバルって言葉は嫌いなんだけど、確かにそうですね。私の母は仕事が忙しくて毎日不在。家で寂しく留守をするより、屋外にいるほうが孤独を紛らわせるのでいつも外にいました。昆虫が大好きになったのもそのころからです。自分も様々な生物と同じく、大気圏内に生きている地球の生物だと思うようになって、そのへんから帰属意識が飛んじゃって、「大気圏内の生物」だという自覚が定着しました。