大相撲の田子ノ浦親方(元幕内久島海、本名・久嶋啓太)が2月13日、虚血性心不全で亡くなった。46歳の若さだった。ベテラン相撲記者によれば、自ら「友だちが少ない」と語り、八百長とは一切縁のない頑固で偏屈な人で有名だったという。その頑固な生き方は、親方になってからも変わらなかったそうだ。

 たとえば、彼の部屋には自分の後輩にあたる日大相撲部出身の力士はいなかった。学生相撲出身はプロのたたき上げ力士ほど稽古しない傾向があり、だから伸び悩む、と言われる。

 それだけでなく、同門の仲間感覚で星の貸し借りをして互助会化することを嫌い、後輩を採らなかった、というのだ。
 
 「彼自身、日大OBとの付き合いはなく、それどころか他の親方との付き合いもあまりなかった。ハワイとかモンゴルとか、出身地ごとに互助会化する外国人力士を採ることにも慎重で、彼の部屋にはたった一人、ブルガリア出身の力士がいるだけでした」(ベテラン相撲記者) 

 そんな親方だから八百長にはことさら厳しく、田子ノ浦部屋には一人も関わっている力士はいなかった。そんな弟子たちの意向で棺には、故人が着けていた稽古まわしが納められたという。合掌。

※週刊朝日2012年3月2日号


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