退任する直前の1988年1月には、大阪地検特捜部も公明党の田代富士男参院議員を、砂利船団体の幹部から、砂利船の転売制限撤廃を内閣に質問するよう依頼され一千万円を受け取ったとする受託収賄罪で起訴した。「巨悪の剔抉(てつけつ)」の公約は一応、果たした形だ。

「被害者とともに泣く」は、庶民が被害者となる日常的な犯罪の処理について検察のあるべき姿勢を語ったものだ。被告人(加害者)の権利は、憲法などに明記されているが、被害者については刑事訴訟法にも明確な規定がない。そのため、実際の刑事裁判では、被害者は裁判の当事者ではなく、目撃者と同じ扱いで、被害者や遺族の不満が募っていた。

 伊藤氏の言葉が実を結ぶまでには時間がかかった。1995年のオウム真理教事件などを機に犯罪被害者への対応が見直され、2004年にようやく犯罪被害者等基本法が成立。刑事訴訟法改正で被害者や遺族が法廷で被告人への質問や求刑意見を述べられる被害者参加制度も2008年から運用が開始された。

 最後の「うそをつかない」について、伊藤氏は「『ぼくは半分くらいホラを吹いていますから』とすましていた」と元共同通信記者で法務省広報企画アドバイザーも務めた渡邉文幸氏は著書『検事総長』(中公新書クラレ)で記している。

■伊藤氏が国民と後輩検事に伝えたかったこと

 サービス精神旺盛な伊藤氏は、この本で個性豊かな被疑者の政治家の逸話や、「パフォーマンス過剰」と指摘された国会答弁の舞台裏の事情など興味深いエピソードを多数紹介しているが、「指揮権発動」と並んで検察の在り方にかかわる重要な事実を書き残している。三つ目の「うそをつかない」にも関連する話だ。

 1957年の売春汚職事件をめぐり読売新聞記者の逮捕につながったニセ情報事件である。伊藤氏ら特捜部の検事たちは「しばしば重要な事項が読売新聞に抜け(略)上司から疑われているような気がして」、情報を漏洩した犯人が法務省の幹部だと目星をつけ、確認のため、無関係の政治家の名をその幹部に流したら、そのまま記事となり、記者は名誉棄損で告訴され、逮捕された。

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