2人の子どもを持つ都内の男性(42)は最近、スーパーの野菜売り場の変化にちょっと不安を感じている。

 群馬産のホウレンソウに茨城産の白菜--。福島第一原発の事故以降、見慣れぬ西日本産の野菜が幅を利かせていた夏に比べて、茨城や群馬、栃木など北関東産の野菜を多く見かけるようになったのだ。

「粉ミルクからも放射性セシウムが検出されるなど、汚染がどこまで広がっているのかわからない。国の検査体制にも不安がある。できれば北関東産は子どもには食べさせたくない」

 男性は真顔でそう言う。

 一方で、商品を並べる小売店の思いも複雑だ。首都圏でチェーン展開する大手スーパーの担当者は言う。

「この時期は例年、首都圏の葉野菜の供給地は北関東が中心なんです。しかし、売り場が北関東産ばかりになると客離れが起きる。なるべく遠方県で採れたものを仕入れたいのですが、欠品なく売り場を埋めるためには頼らざるをえない」

 特に担当者が頭をかかえているのが鍋野菜の主役、白菜だ。食品業界に詳しい流通ジャーナリストの内田裕雄さんは言う。

「白菜の主な生産地は茨城と長野です。両県で日本の全生産量の約45%を占めている。しかし、長野は夏採りで、関東に関して言えば、秋から冬にかけて販売される白菜の約8割が茨城産なのです」

 中堅スーパーの担当者もため息をつく。

「鍋需要で売り上げを伸ばそうとしている矢先に白菜が茨城産だけになってしまった。その影響からか、他の鍋種の出足も鈍い。今後、白菜をいかに茨城産以外で展開できるかが勝負です」

 生産者にとっては「風評被害」以外のなにものでもないが、それだけ消費者は神経質になっているというのである。

◆国の基準値よりウクライナ信用◆

 厚生労働省は野菜や穀類、肉、魚、卵について、放射性セシウムで1キロあたり500ベクレルという暫定基準値を設け、東日本の17都県にサンプル検査を求めている。しかし、義務付けたわけではない。

「消費者は、暫定基準値や検査体制が甘すぎるのではないかと疑心暗鬼になっている。これを解消しない限り、買い控えはおさまりません。流通業界では、業を煮やして、自衛策をとる会社も出てきています」(前出の内田さん)

 その筆頭格が通販大手の「カタログハウス」(東京都渋谷区)だろう。8月から、福島産の食品を独自に検査し、放射能の値を明示して販売してきた。JR新橋駅前の直営店ではコメや野菜、果物などを扱っているが、消費者の反応は上々だと、斎藤憶良(おくら)社長は言う。

「うちのコメは、玄米で1キロあたり3ベクレル、精米すると1ベクレル以下になりました。きちんと検査して公表すれば、安全かどうかはお客さんが判断してくれます」

 同社は厚労省の暫定基準よりもはるかに厳しい1キロあたり40ベクレル(野菜)というウクライナ保健省の基準を採用し、収穫直後の集荷場と販売前の店内で計2回検査している。

「ウクライナの基準値以下なら、標準的な量の食品を摂取しても放射能の合計は年間1ミリシーベルトを超えません。厚労省の暫定基準値より信用できると考えました」(斎藤さん)

 12月半ばからは福島産の新米の販売も開始した。

「精密に検査したため、例年よりも発売が2カ月遅れてしまいましたが、売り上げは好調です」(同前)

 独自に検査し、結果を公表するという流れは流通大手にも波及している。イオン(千葉市)は11月から自主検査の結果を店頭やホームページで公表し始めた。

「福島産のコメやりんごも販売していますが、公表に踏み切って以降、『この産地のものは買わない』といったお客さまの声は聞きません」(広報担当者)

 正確な情報開示を望んでいるのは消費者だけではない。風評被害に苦しむ生産者も、より精密な検査と情報開示に取り組んでいる。

 茨城県つくば市周辺の生産者が運営する直売所「みずほの村市場」は、3月下旬から農作物や牛乳の放射線量の測定を独自に行ってきた。きっかけは、政府が震災直後の3月21日に出した、福島産や茨城産などのホウレンソウとかき菜の出荷停止措置だった。代表取締役の長谷川久夫さんはこう憤る。
「福島に近い県北地域で採れたホウレンソウから基準を超える放射性物質が検出されただけで、全県ひとくくりに出荷停止された。行政区で区切って安全性を判断するなんて、何の妥当性もないでしょう」

 しかし、影響は想像以上に甚大だった。

「お客さんから『ホウレンソウを買ったけど、食べる気がしない』と言われたこともありました。3月の売り上げは前年の2割まで落ち込みました」

 出荷停止措置が取られた直後、長谷川さんは消費者の不安を払拭するため、葉野菜や根菜、牛乳にまで範囲を広げて実態調査に乗り出すことを決意し、現在は茨城大学に検査を依頼している。

「最初は『何で測るんだ。ますます風評被害がひどくなるじゃないか』と反対する生産者もいました。でも、すべての作物を測って、本当に安全だということを確かめなければ、商品として責任がもてません。きちっとした検査と数値の公表をしない限り、消費者の信頼は取り戻せないのです」

 この取り組みがテレビや新聞で報じられると、8月には売り上げが前年の8割程度まで回復、9月には前年を超えるまでになった。

 原発事故からすでに9カ月が過ぎたが、国の基準は「暫定」のままだ。

 厚労省は現在、食品による放射性セシウムの被曝線量の上限を年間5ミリシーベルトとし、飲料水や牛乳などは1キロあたり200ベクレル、野菜などは500ベクレルと定めている。だが、食品安全委員会が「過去のデータから、健康に影響がでかねない」と答申すると、10月下旬から、基準を年間1ミリシーベルトに引き下げる検討を始めた。

「来年4月以降の実施を目指しています」(厚労省食品安全部の担当者)

 1年かかっても基準値すら決められないのでは、お話にならない。

 店で日々、消費者と向き合う長谷川さんは言う。

「どの食品を買って食べるかは、国や専門家が決めることではない。消費者自身が判断すべきことです」

 事故直後には福島など被災地の野菜を積極的に買う「応援買い」が起きた。だが、いま必要なのは"応援"ではない。安全でおいしいからこそ買う「ふつうの消費活動」なのだ。 (本誌・大貫聡子)


週刊朝日