「いろいろな情報を総合すると、渡邉会長は、本当は原監督を留任させるべきかどうか悩んでいたようだ。政財界の知人からは『原の采配(さいはい)はおかしい』などと手紙をもらったこともあったようで、会長自身も原監督の采配には言いたいことがあったと思う」

 だが、それでも、

「鶴の一声があった」

 と言う球団関係者はこう続けた。

「そもそも原監督の契約年数は1年だと聞いていた。それが突然、2年に変わったのは、渡邉会長が、原監督の甥(おい)である東海大学の菅野(すがの)智之投手に惚れ込んでいて、どうしても獲得したい、しかし、1年契約で原監督をクビにしてしまうと、シーズン後の来年のドラフトで菅野がとれない可能性がある。だから2年契約となったようだ」

 読売関係者も、

「『原をクビにしたら、菅野がとれない』と渡邉会長が言っていた、という話を聞いたことがあります」

 と話した。

 大卒の投手一人のために監督の契約を延長するのはおかしい気もするが、権力者ほど一度執着したら必ず自分のものにしたがるのは世の常だ。読売グループ最高権力者の渡邉会長も、やはりかつての権力者と同じということなのだろうか。

 ◆「一刻も早く去ってほしい」

 清武氏は、11月18日にクビになった。球団は、解任理由の中で、

「清武氏が常勤監査役に残してほしい、と言ってきた」

 と暴露した。

 本当であれば、マスコミに対しては「権力者が間違ったことをしたら、正すのが私の役目」などと言う清武氏も、「結局はポストが欲しかったのか」ということになる。

 冒頭の読売OBは言う。

「渡邉会長に名誉ある引退をしてほしい清武さんが、ある人と話している最中に、『どうせ渡邉さんは退いても、1年で復活しちゃうような人だから、私はお目付け役として監査役で残る決意もありますよ、アハハ』と話した程度のことが、ああやって暴露されることになったので、清武さんも『言いがかりだ』とかなり怒っていたようです。彼の性格からしても、ポスト欲しさの行動とは考えにくい」

 今回の清武氏の解任は突然決まった--そう見られている。だが、本誌は「清武の乱」の前から「清武外し」が始まっていたという話も聞いた。11月9日、清武氏は渡邉会長と会談し、江川卓氏(56)のヘッドコーチ就任案に抵抗した。実は、もうこの時点で、清武外しが着々と進められた、という内容だった。

次のページ