もう一つのウイルスは、取り除かない限り爆発も時間の問題だ。そもそも誰もこの種のウイルスを意識することがないのであれば、どうしてウイルス駆除が提起されるだろうか? 誰かがウイルスに意識を向けたとしても、その人が進んで「内部通報者」になりたがるだろうか? この種のたいへん強力なウイルスに対して一人の「内部通報者」で足りるだろうか?
■被害者であり加害者
ここ数日、武漢のネットにはこんなフレーズが出回っている。「時代の灰が一つ誰かの頭の上に落ちれば、すなわち山のようにその人を押しつぶす」。確かにそういうふうに言うのもいいだろう。ウイルス流行のど真ん中に身をさらす武漢人はそれぞれがいくつもの惨劇を目にし、それを我が事のように受け止めてきた。
しかし私は心から好きにはなれない。このフレーズが一つの事実を的確に述べているにしても、それは一人ひとりの個人を無辜(むこ)の、寄る辺ない被害者の位置にもう一度並べ直すことにほかならず、一人ひとりが頭を抱え、涙を流したあと、心安らかに、いわゆる時代を継続させていくことになるからだ。時代というものは、私たち一人ひとりがそこに参加し作り上げていくのではないのか? 私たち一人ひとりは被害者であると同時に、加害者でもあるのだ。
よろしい、私はやるべきことを決めた。まず大胆に認めよう。私たちはみな、もちろん私自身も、身の内に毒性が非常に強いウイルスを蔵している。私は潜在的な危険性を抱えた「内部通報者」たらねばならない。今次の災難を経験しようとしまいと、その後には私と同じような「内部通報者」が中国にいくばくか現れるだろう。私は始めなければならない。
○阿坡(A.PO)/一武漢市民。77日間の武漢都市封鎖(ロックダウン)を経験し、この手記を執筆。「阿坡」は本名ではない。全世界に多大な迷惑と災難をもたらした新型コロナウイルスについて、一人の健全な精神を持つ中国人としてお詫びの気持ちを表すために、英語の「apologize(お詫びする)」から取った。全世界の国々が中国からのお詫びを待ったとしても、それが述べられることはない。だか、この名前を用いて手記でお詫びの気持ちを表したいと考えている。
訳:kukui books
※AERAオンライン限定記事