山崎章郎さん(63)はもともと外科医だった。1983年、勤めていた病院から長期休暇を取り、南極の地質調査船の船医となり、洋上でE・キューブラー・ロスの『死ぬ瞬間』を読んだ。

 生の終わりには、鎮痛剤よりブドウ酒、輸血より家のスープのほうが患者にははるかにうれしい。

 こんな一節が、運命を変えた。病院の延命治療に疑問を持ち、ホスピスケアに目覚める。90年に『病院で死ぬということ』を出版し、翌年、ホスピス医となった。そして、人間らしい穏やかな最期を迎えられるホスピスの意義を広めてきた。

 その山崎さんがいま、施設型のホスピスを"卒業"して、在宅でのケア(看取り)に取り組んでいる。

 東京都小平市にある「ケアタウン小平」。2005年に仲間と開設した、在宅で療養する人たちをサポートする施設だ。

「24時間の在宅ケア」と「末期がんの患者に限らないホスピスケア」を理念に掲げる。3階建てで、1階に訪問診療や往診を専門とする山崎さんのクリニックや訪問看護ステーション、デイサービスセンターなどが入る。2、3階は21戸の主に高齢者向け賃貸アパートだ。

 ホスピス運動を引っ張ってきた医師は、在宅医へ転じて何を見てきたのか。いま「家で死ぬ」とはどういうことなのだろうか。

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--在宅医を目指したのはなぜですか?

 ホスピスで行われているケア自体はすごく適切なんですが、現状では、日本でそれを受けられるのは、主に末期がんの患者さんに限られています。ホスピス医として活動しながら、そのことに、とても息苦しさを感じたんです。

 国内で毎年30万人以上ががんで亡くなっていますが、ホスピスケアを受けられる方は6%にすぎません。家で亡くなる方も6%で、88%は病院で最期を迎えます。ホスピスに入れた6%の人はある意味、幸運ですが、それでも、意識が混乱するなかで「家に帰りたい」と叫ぶ人もいて、これが本心じゃないかと考えさせられることもありました。そんななかで、ホスピスでの経験を地域に開いて、在宅で展開したいと思うようになりました。われわれ医師や看護師が患者さんの家をたずねれば、病気の種類や入院期間の制限もなくケアできるのではと。

--在宅医になって6年目。どんな様子ですか?

 これまでに300人ぐらいの方を在宅で看取ってきました。当初は1人で24時間対応していましたが、今は私を含めて常勤の医師が3人です。患者さんは常に100人ぐらいいて、約3割が末期がんです。月に平均で5、6人、年間で60人から70人の方が家で亡くなります。その約9割はがんの患者さんです。これは私たちがかかわって亡くなった方の7割強です。家で療養したいと願って、最後まで家にいられる方が7割ぐらいということですね。残り3割弱の方は、最後はホスピスか、一般病棟に入院されます。

--なぜですか?

 主な理由は介護力の限界です。亡くなる2、3週間前になると、ほとんどの患者さんは入浴や食事、排泄などの日常生活が自力では難しくなり、ベッドにいる時間が増えます。そこで老老介護だったり、仕事を持っていたりすると家族のほうが疲れてしまうんですね。逆に言うと、その数週間さえ家族が頑張れるように支えることができたら、ほとんどの方が家で最後の時間を過ごせると思います。

--ホスピスと在宅の違いは何ですか。

 ホスピスでは建物の設計から、消灯時間などの規則をなくすといったことまで、より在宅に近い運営を目指しました。実際、病院から移ってきた多くの患者さんが「来て良かった」と言ってくれました。でもホスピスから家に視点を移してみると、ホスピスは病院よりはるかに自由ですが、家はそれよりさらに自由だと感じます。

 それにホスピスと在宅とでは、患者さんの痛みの感じ方がかなり違う気がしています。ホスピスでは、がんの痛みで苦しむ患者さんの半数以上に注射用のモルヒネを使っていましたが、ここでは、5年以上たっても使った人が一人もいません。医療用麻薬にはほかに飲み薬と貼り薬、座薬などがあって、それらをうまく組み合わせることで、注射用のモルヒネを使わなくても痛みを抑えられている。
 家という場の持つ力なのでしょうか。住み慣れた場所で自由に動き回れたり、家族がいつもそばにいられたりする環境には痛みの感覚を和らげる効果があるという印象を持っています。

◆病院中心主義を在宅中心主義へ◆

--忘れられない、印象的な死を教えてください。

 たくさんあります。胃がんだった70代の男性は、食事の量がだんだん減って家族も心配するので、私が「点滴もできますよ」と言うと、「結構です」と断る。「夕食時にお酒が飲めればいいんですよ」と毎晩飲んでいました。ちょっとしたつまみと一緒にね。「おいしいんですか?」って聞いたら、「いや、おいしくはないんだ」って(笑い)。その方にとっては、お酒を飲むことが生きている証し、習慣なんですね。

 その量もどんどん減っていく。家族は不安だったと思います。でも患者さんのそれまでの人生や病気の経過を考えれば、「そのときご本人が欲して体に入った量を適量と考えればいいんじゃないですか」と言いました。朝昼の食事はなしで、夕方ちょっとしたつまみとお酒。家ではそれが少しも不自然じゃなくて、むしろそんな人生の終わり方もいいなと思えます。

 同じく70代の男性で、自分の部屋にはだれも入ってほしくないと、われわれも家族もなかなか部屋に入れてくれない方がいました。が好きで、猫だけがずっとそばにいる。最期の瞬間もたぶん猫が看取ったんですが、「それもありかな」とみんなが思ったら、その人らしい逝き方として何ら問題ない。病院ではなかなかできないことです。

--家で看取ることを通して、どんなことが見えてきましたか。

 普通、患者さんはできるだけ家にいて、「いよいよ」となったら病院で最後を見ましょうとなるけど、逆じゃないかと。これ以上、治療法がない段階になったら、残された時間をどう生きるかが大事です。そのときこそ、家に戻るのです。

 突発的な変化に対応するには病院のほうがいい。ただ、病院はあくまで非日常の世界です。死も大きな目で見れば人生の一部ですから、非日常の空間から家という日常性の中に死を取り戻すことが大切じゃないでしょうか。

 満足な医療がなかった昔は、弱っていく人に周囲ができることはなく、祈ったり、願ったり、体をさすったりしていたはずです。いまは医療がある程度のことをできる代わりに、病院で祈るとか、さするとかを自然にしにくいでしょう。

 在宅なら家族は心おきなく患者さんのそばにいられる。孫や親戚が泊まり込んでもいい。すると小さな子どもでも、かわいがってくれたおじいちゃんやおばあちゃんの衰弱した姿に胸を痛めつつも、寄り添って声をかけたり、排泄の手伝いもできたりします。

 もちろん家で看取ることを支える受け皿がないとできませんが、受け皿があるなら、病院で死ぬのはもったいない。最後は家で過ごすことを提案したいですね。調査でも、最後は家を希望する方が圧倒的ですし、「病院中心主義」から「在宅中心主義」へ変えることが国民の希望をかなえることにつながるはずです。

◆家での看取りが新たな縁を生む◆

--ホスピスはどう位置づければいいのですか。

 在宅介護が中心の欧米の場合、ホスピスに入るのは、家族を介護から休ませるためだったり、再び家へ帰れるように患者さんの症状をコントロールするためであることが多い。現在、日本国内にホスピスは200カ所ぐらいあり、平均入院期間は約7週間です。欧米の平均約1週間と比べると、かなり長い。日本は在宅の基盤が弱いからです。

 国内のがん患者は今後も増えていきます。しかし、ホスピスというハードをさらに増やすには、お金がかかります。むしろソフト面に目を向けて、家で最期を迎える基盤を整えるほうが効果的です。ホスピスへは家族が疲れきったときに1週間だけ入る。患者さんの入院期間が短くなれば、もっと多くの方がホスピスを利用できます。

--在宅でのケアを広めるためには、どんな仕組みが必要ですか。

 24時間対応の医療と総合的な介護力です。

 がんの末期の方でも、苦痛の緩和は家で十分できます。介護の中身も、食事や排泄の介助だったり、体の向きを変えることだったり、家族でできることがほとんどです。しかし、家族だけに負担がかかると、夜も頻繁に起こされて眠れません。いまの介護保険はサービスの時間が細切れになっていますが、夜間滞在型のサービスが認められれば、ずいぶん違うと思います。

 ケアタウン小平のように、在宅に特化して複数の医師がチームを組み、訪問看護ステーションと連携を組むような地域医療のシステム作りも大切です。

 開設から半年は私が1人で対応していましたが、ハードで、長続きしないと痛感しました。在宅で診るには訪問看護の力がすごく大きいのですが、日本の訪問看護ステーションは、24時間対応するには規模が小さすぎるところが多い。ひとりひとりの負担が過剰にならない仕組みが必要です。

 全国各地でこうした仕組みが広がれば、患者さんは希望をかなえやすくなる。病院やホスピスは、患者さんの希望を聞いたら、地域医療の"資源"を探せばいいのです。

--あえて伺いますが、家で死ぬことにデメリットはないんですか。

 病院やホスピスだと、同じ時期に入院していた家族同士で交流ができますが、在宅で看取った人は、喪失のつらさや悲しみを他の人と共有しにくい。そんな側面があります。

 そこでケアタウン小平では、遺族同士が交流できる場として、遺族の交流会を開いています。遺族会には100人を超す方が入っています。いまケアタウンでボランティア活動している人の2割は、そうした遺族のみなさんです。だれかの最終地点を家という場で見送ったことで新たなつながりができあがっていく。そんな実感を抱いています。

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次号は、ケアタウン小平チームのサポートで実際に家で家族を看取った遺族たちの体験と、遺族同士の交流の様子を紹介する。(本誌・大川恵実、佐藤秀男)
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やまざき・ふみお 1947年、福島県生まれ。ケアタウン小平クリニック院長。千葉県八日市場市立病院を経て91年、聖ヨハネ会桜町病院でホスピス医となる。2005年、ケアタウン小平開設。ベストセラーとなった『病院で死ぬということ』で日本エッセイストクラブ賞。著書はほかに、『僕が医者として出来ること』、『新ホスピス宣言』(共著)など

◆残された時間は、家族や猫と過ぎゆく(現場から)◆

 ケアタウン小平から車で20分ほど、緑の多い住宅街にある一軒家に、山崎さんが自ら軽ワゴン車のハンドルを握ってやってきた。

 1階の約8畳の部屋が大塚日出明さん(68)の寝室だ。床全体にふとんが敷かれ、足元で愛猫が気持ちよさそうに寝ている。

 大塚さんは末期がんで、看護師の妻文子さん(56)と、2人のめいと4人暮らし。文子さんは介護休暇中だ。

 大塚さんのそばに腰を下ろした山崎さんは、顔をのぞきこむようにして、
「体調はどうですか?」
 と切り出した。

 「大丈夫です」

 落ち着いた声で返す大塚さん。心配な症状はないか、不安なことはないか、山崎さんは確かめるようにたずねる。聴診器を胸に当て、血圧を測り、点滴の準備を始めた。つるしたハンガーに、点滴をひっかける。食道に通過障害のある大塚さんの水分補給法だ。おなかの皮の下に点滴液を注入する皮下点滴というやり方で、体内に水分を吸収させる。

「これなら患者さんの負担も少ない。2、3回練習すればご家族でも簡単にできます」(山崎さん)

 大塚さんは2009年3月に肺がんと診断され、1年半後、治療法がないと告げられた。文子さんが在宅での療養を大塚さんに勧めて家へ移った。昨年10月から週に1度、ケアタウン小平から山崎さんらクリニックの医師や訪問看護師が来ることになった。余命は約1カ月と言われていた。当初、大塚さんは家で痛みが出たらどうしようと緊張した。息苦しくなり、酸素吸入器に頼ることもしばしば。しかし1カ月ほどして、その回数が減った。

 大塚さんはこう語った。

「家だとぐっすり眠れる。病院だと周りの人に神経を使うので、寝ていてもどこか起きてるんだよね」

 腰痛持ちのため、どんな角度でも寝返りが打てるようにと、ベッドからふとんに変えたのも良かった。家なら、わがままや本音を言える。近所の人や友人も気軽に顔を出してくれる。

 それでも、食べることも一人でトイレに行くこともできなくなって、「自分の存在が迷惑では」と落ち込んだ。そんなとき、
「亡くなることは万人に訪れる人生最大のイベント。この貴重な体験をご家族にプレゼントしていると考えたらどうですか」
 という山崎さんの言葉を聞き、心が軽くなったという。文子さんもこう話す。

「毎日、今日も一緒にいられたとしみじみ思います。残された時間を家族で共有できるのは幸せです」

 往診のほかに訪問入浴が週1回、訪問看護が週に2回来る。容体が急変すれば、夜中でもケアタウン小平に電話できる。11月に68回目の誕生日を迎え、年も越せた。次の目標は花見だ。

「春になったら花見に行こうよ。私が運転するから」

 文子さんが声をかける。

「おっかないなあ」
 と言いながら、大塚さんはまんざらでもなさそう。それを見て文子さんが「大丈夫よ」と笑った。何げない夫婦のやりとりに、「家だと、その人がその人らしく生きられる」という山崎さんの言葉を思い出した。


週刊朝日