しかし世間のイメージと落合の評価は違った。
「一番素直なボールを投げて来たのは宇野勝。アレのボールは一番捕りやすかった。中日のショートではトップクラス。ちゃらんぽらんに見えるけど、アレはうまい」(CBCラジオの中日応援番組「ドラ魂(ダマ)KING」にて)
遊撃以外すべての内野ポジションをプロで守った経験豊富な男が、宇野の内野守備に高評価を与えていた。
「守備について直接、褒められたことはない。2人で守備の話をした記憶もほとんどない。でもなんとなく表情や雰囲気で伝わる時はあったかな。送球を捕った後などに、アイコンタクトとかニヤっとされる時はあった。僕自身、守備も好きだったから、そういう時はやっぱりうれしかったよね」
現役引退後も2人には変わらぬ信頼関係があった。
落合は04年の中日監督就任後、宇野に打撃コーチ就任を要請。宇野は94年限りで現役引退、約10年間に渡りネット裏から野球を勉強している最中だった。
「声をかけてもらってうれしかったよ。僕の打撃理論を分かった上で必要としてくれているのだから。就任にあたり、『思った通りにやって良い』と言われた。落合さんは監督としてチーム全体に気を配っていて、打撃や守備などの各分野には、あまり口を挟まなかったな」
宇野が打撃コーチの5年間で2度のリーグ制覇。07年はリーグ2位からCSシリーズを勝ち進み日本一にもなった。
しかし翌08年にはチーム打率が12球団最下位で順位も3位に終わり、宇野は打撃コーチを退任する。
「プロは結果の世界だから、前年の日本一は関係ない。しかも12球団で最も打てない打線を作ったんだから、僕の責任でしょう。やっぱり落合さんに申し訳ない気持ちが強かった。辞める時も『お前の思った通りにしろ』と言われた」
安易に群れることを好まず、プロとして結果を出すことに全力を注ぐ。落合には一匹狼のイメージが強いが、決してそうではない。認め合った存在とはお互いを尊重しあった良い関係を築く人物でもある。