TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。今回は、伝説のジャズ喫茶「ベイシー」について。
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「あの渡辺貞夫さんが、マネージャーを探しているらしいよ」
いつだったか、僕の勤めているラジオ局の同僚がそんな話を持ちかけてきた。レコード会社のディレクターだった彼は長年渡辺貞夫さんの担当でもあった。
「でね、『延江あたりがいいんだけどな』って言っている」
「え? 貞夫さんが、おれをマネージャーに? なんでまた」
「お前と旅をしたら楽しそうだからだってさ(笑)」
「貞夫さんと旅かぁ」
結局、話はその場限りで終わったが、大好きな貞夫さんと旅をするなんてこの上ない喜びだ。
貞夫さんはサックスを抱えて始終旅をしている。「それじゃあ行ってくるよ」とニコニコされるのが岩手県一関市にあるジャズ喫茶「ベイシー」だ。マスターの菅原正二さんと会えることと、とにかく音が良いからだそうだ。
そういうわけでこの店のことは知っていた。そして今月、店の名前を冠した映画「ジャズ喫茶ベイシー Swiftyの譚詩──Ballad」が公開される。
パンフレットの監督クレジットに驚いた。
白金にある料理店、酒肆ガランスの顔だった星野哲也さんの名前があった。次から次へと驚くべき料理が出てくるセンスの塊のようなこの店には、一癖も二癖もある業界人や表現者が夜な夜な集う、さながら梁山泊のようだ。
星野さんらしくこの初監督作品もジャズへの愛に満ちている。
「まずベイシーのオーナー、菅原正二さんに憧れたんです。半世紀にわたって店を続けている飲食の達人なんです」と星野さん。不思議だった。その菅原さんとともに映画に登場する渡辺貞夫さんの笑顔がとても懐かしく思えたのだ。局で日常的にお会いしているのに、まるで少年のよう。聞けば、貞夫さんご夫妻が星野さんとベイシーの菅原さんを繋いでくれたのだという。20年以上前、貞夫さんのライブの打ち上げ会場でのことだった。その縁を大切に星野さんは一関に通い始め、自分の店はそっちのけになった。
ジョン・コルトレーン、エルビン・ジョーンズ、ウィントン・マルサリスも店を訪れた。伝説のミュージシャン、阿部薫が自ら描いた絵もあった。
店主菅原さんの音へのこだわりに圧倒され、回した映像は150時間。自ら撮影した量に呆然としている星野さんにプロとして手を差し伸べたのがBSフジ社長の亀山千広さんだった。「踊る大捜査線」などを手がけ、日本を代表するテレビドラマプロデューサーでもある亀山さんは言う。「水臭いぞ、一緒に作ろう」
監督とエグゼクティブプロデューサー。映画作りは徹底していた。ベイシーの音の良さを生かすんだとアナログ録音の名機ナグラでスピーカーから直接音を収録した。「だってベイシーの壁にはジャズが沁み込んでいるから」と二人は笑う。「ジャズを聴くにはジャズな環境が必要だ。垂れ流しはよくない」とは彼らをそこまで本気にさせた菅原さんの言葉。客とマスターという間柄だった二人の男がベイシーの菅原正二を師匠のように慕い、映画を作り上げた。コロナ禍で現在休業しているというが、いつの日か貞夫さんと行ってみたい。それこそマネージャーとなって。
延江浩(のぶえ・ひろし)/1958年、東京都生まれ。慶大卒。TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー。国文学研究資料館・文化庁共催「ないじぇる芸術共創ラボ」委員。小説現代新人賞、ABU(アジア太平洋放送連合)賞ドキュメンタリー部門グランプリ、日本放送文化大賞グランプリ、ギャラクシー大賞など受賞
※週刊朝日 2020年9月18日号