敬和学園大学の藤野豊教授
敬和学園大学の藤野豊教授
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 新型コロナウイルスで感染者差別が問題になっている。疑心暗鬼になった国民が健康状態を相互監視するという状況は戦前・戦中にもあり、ハンセン病などの患者の摘発と排除がおこなわれていた。その背景には、健康な肉体を戦争に動員するためという理由があった。なぜ同じ過ちが繰り返されたのか。

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 1940年におこなわれるはずだった「幻の東京オリンピック」をご存じだろうか。1936年ナチス政権下のベルリンオリンピックを後追いする格好で、日本人は強い民族だとアピールする好機だと考えられていた。それに向けて始まったのが、政府による「健康の奨励」だ。『強制された健康 日本ファシズム下の生命と身体』などの著作がある敬和学園大学の藤野豊教授はこう話す。

「1938年にできた厚生省(厚生労働省の前身)のスローガンが、『健康報国』(健康で国に報いる)でした。それまで健康は個人のためのものだったのが、これからは国家のために健康になるべきだと。それは日中戦争に突入する中で、強い兵士が必要だという思惑にも基づいていました」

 しかし東京でのオリンピック開催は、日中戦争の長期化という「緊急事態」により中止となる。その欠落を埋めるようにして、アスリートや軍隊だけでなく、国民全体の健康が大事だという考えが発展していった。

「健康」といったときに今日私たちが想像するのは、病気にならずに体が丈夫であるということだ。しかし当時の「健康」には、「皇民」としての自覚をもつという精神的な面も含まれていた。国民全体の戦意を高揚させるために存在する概念だった。

「英語の『レクリエーション』に代わる言葉として、『厚生運動』という言葉が無理につくられました。1938年にできた日本厚生協会は、個人のためではなく、国家のために『厚生運動』を通じて心身を鍛えるという目的を掲げます。たとえばスポーツはそれ自体を楽しむのではなく、スポーツを通して戦う精神を鍛えるということが重要とされていった。だから健康は義務であり、病気になったら非国民だという考えが生み出されたのです」

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ハンセン病は国力に負の影響だから取り締まるべきという考え