中盤に、坂田明がチクリと社会批評をする。ほんのわずかな時間だが強烈な印象を残すシーンだ。この部分だけを取り出せば、「ベイシー」という店やジャズそのものには直接関係がない発言のようにも見えるだろう。だが、坂田のこの短いながらも熱いコメントからは、現在、失われつつある自由に意見することの重要性が伝わってくる。そして、それこそがジャズの持つ気概そのものではないかと思うのだ。実際、この映画では登場する誰もが、「ベイシー」という店へのエールに限定せず、好きなように自分の言葉でジャズについて、機材について、サウンドについて、演奏について、アーティストについて、また時には人生について語る。まるで「ベイシー」やジャズを肴に意見交換するかのように。
マスターの菅原はもちろん音にこだわる年季の入ったリスナーでもある。開店以来使い続けているというJBLのオーディオ・システムの音の良さは、今回の映画のスピーカーを通じてもよくわかる。実際、本作では菅原が再生するレコードをアナログ録音の名器「ナグラ」で生収録し、「ベイシー」の店の空気感も含めて捉えているのだそうだ。だが、一方で、音の質感うんぬんより、目の前でドラムを響かせ、サックスをとどろかせる、その「今という瞬間」を大事にする現場主義者でもあるのではないか。客席テーブルのすぐ横に置かれたドラムセットが菅原の、「ベイシー」の哲学をさりげなく伝えているようだ。
そんな菅原を慕って、連日多くのジャズ・リスナーやオーディオ・ファンがこの店を訪ねてくる。東北周辺だけでなく日本各地、海外からもやってくる。かつて、柴田錬三郎や野口久光といった文化人も通い、店内に多くの著名人のサインが残された「ベイシー」は、確かに日本を代表する圧倒的な磁力を持つ名店だろう。かつて放送されていたフジテレビ系番組「ヨルタモリ」で、タモリ自ら扮していた「吉原さん」というキャラクターは菅原をモデルにしていたという。そんな数々のエピソードを知るにつれ、行ったことのない筆者も一度は訪ねてみたいと思う。
だが、サングラス越しに穏やかな眼差しを見せる菅原は、自分がこの作品の主役であることにおごり高ぶってなどいない。スクリーンの向こう側にいる一人ひとりのリスナーに語りかける。なお、本作が初監督になるという星野哲也自身も東京・白金のバーのマスターだという。全国に600ほどあるジャズ喫茶を代表して、一人でも多くの人と、心と心でセッションをしようとしているのかもしれない。
(文/岡村詩野)
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