しかし、その後、証人として出廷した国井検事は上村さんの被疑者ノートの内容を「真実ではないところがある。私の話をうまく取り込んで狡猾(こうかつ)だなあと感じた」と証言しました。そう言い放った国井検事を見たとき、この人は人間として信用できないと思いました。検察という組織が恐ろしくなった。検察側席を見ると、恐怖で心臓がドキドキするようになりました。証言後、国井検事が私のところにあいさつに来たのですが、ふつうはそんなことは絶対しないのに、嫌でしょうがなかったので弁護団のほうを向いて、気がつかないふりをしました。怒りと不信でいっぱいでした。
──裁判を通じて、自身の「無罪」を証明できる、と確信したのはいつだったのだろうか。
民主党の石井一先生から証言をいただいたときです。「凛の会」会長の倉沢邦夫さんは、04年2月25日に議員会館の石井先生の部屋で、口利きを依頼したことになっていたのですが、石井先生はその日、千葉県のゴルフ場に行っていて、倉沢さんとは会うことは不可能だった。弘中先生からその話を聞いたときは、体の力が抜けました。事件の「入り口」からウソだったのか、と。
──1年以上にも及ぶ検察との闘いは村木氏にとってはどんなものだったのだろう。
長くもあり、短くもありました。無実であることは自分がいちばん知っていましたが、早い段階で周囲の人が「信じている」と言ってくれたことは大きかった。検察は必要な組織ですし、人間のやることだから、絶対に間違えないということはありえない。ただ、もっと丁寧に捜査してほしかった。今は、二度とこうしたことが起こらないよう、問題点を自らの手で検証してほしいと思っています。
昨年11月、保釈の許可が下り「自由」を実感したのが、東京へ戻る新幹線の中で飲んだ缶ビールだったという村木氏。判決後、
「今日のビールは最高ですね」
と記者が声をかけると、
「そうですね」
と、この日一番の笑顔で答えた。
今後、大阪地検は2週間以内に控訴するかどうかの判断をすることになる。メンツではなく、この真実を真摯(しんし)に受け止めて結論を出すべきだろう。
ジャーナリスト 今西憲之+本誌・大貫聡子、小宮山明希