ソフトバンク・柳田悠岐 (c)朝日新聞社
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 日本ハム時代の2006年に32本塁打で本塁打王を獲得した小笠原道大は、通算378本(歴代25位)を記録しているが、暁星国際高時代は意外にも3年間本塁打ゼロだった。

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 89年、千葉西シニアの遊撃手だった小笠原は、同校のスポーツ推薦1期生として入学する。

 自著「魂のフルスイング」(KKロングセラーズ)によれば、同シニアの練習を見に来た五島卓道監督(現木更津総合監督)が、お目当ての選手がまだ2年生と知り、たまたま目についた小笠原に声をかけたという。

 小笠原自身は「大したことなさそうな選手だけど、まあ左打者だから、一応獲っておくか」程度の理由だったのでは?と想像し、五島監督も後に「どこからも声のかからない選手を頼まれた。それが小笠原道大選手です」と語っている。

 そんな事情もあって、入学後、同期生11人の中で「どう見ても一番下手くそ」と痛感させられた小笠原だったが、11人の枠に入れたことも含めて、不思議な強運に恵まれていた。

 本職のショートやサードは複数の競争相手がいたため、仕方なくセカンドに回ったところ、幸運にもポジションがダブらず、レギュラーになれた。

 そして、思いがけずめぐってきたラッキーチャンスを、人一倍の努力で実績に変え、1年夏の県大会で3番を打つまでに成長。2年夏には県大会5回戦の安房戦で5打数5安打を記録し、決勝まで勝ち進んだ。

 3年時は4番捕手で主将も務めたが、通算本塁打はゼロ。けっしてプロから注目されるような選手ではなかった。五島監督が「こいつは高校3年間でホームランを30本近く打ったんです」と色をつけて、NTT関東入社が決まったエピソードも知られている。

 社会人で素質開花した小笠原は、96年の都市対抗のヤマハ戦で決勝弾を放つなど、本塁打でもアピールし、同年のドラフトで日本ハムに3位指名された。“30本”の嘘がバレるどころか、“嘘から出たまこと”が、後の首位打者2回、通算2120安打の大打者を生み出した。

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