私は、実家に長居をすることは極力やめるようにしました。また、勤めがあって平日手伝いに行けない分、家政婦紹介所から家政婦の方を実家に派遣してもらい、姉には週に一日だけは、完全に休んでもらえるように体制をととのえました。

 まだ介護保険もない時代です。親の介護が「長男の嫁」の肩に重くのしかかるのが当たり前の時代でしたが、介護する側も若い頃の体力を持ち合わせているわけではないのです。家族同士が、そして親族同士が“老い”と向き合うことが大切だと、私はそのとき痛感しました。

 また、私が60代後半のとき、夫が多発性脳梗塞で倒れました。その後何度も治療を重ねましたが、脳梗塞の後遺症がひどく、夫は施設に入りました。私が会いにいっても、夫は私のことをほとんどわかっていなかったと思います。

 でも私は一生懸命夫に話しかけ、夫と会話を交わしました。50歳で別居して、その後一緒に住むことはありませんでしたけれど、縁があって夫婦になったひとです。

 夫が私に話すのは、夢の世界で見てきたことばかり。同じことを何回も繰り返して言う。それを私が何度でも聞く。夫が生きるエネルギーを傾けて話をしているのですから、そこに私は寄り添いたい。そんな思いでした。

 次の日には、私が前日に来たことすら忘れている状態でしたけれど、私は夫を最後まで「ひと」として尊重したかったのです。私はもちろん仕事を続けていましたが、配偶者に対してしたが、配偶者に対して自分ができる限りのことをするのは、やはり相手への礼儀ではないでしょうか。

 夫は私が70歳のときに亡くなりました。私のようにフルで働き続ける人間と一緒になって、夫は幸せだったのだろうか。葬儀のときにふと考えました。でも葬儀のあとに親族と話をしていたら、親族が口々に言うのです。

「彼は典型的な“昭和の男”で“口下手”で“いいかっこしい”だったからね。照子さんにはいばっていたかもしれないけれど、親戚には『うちの照子はすごいだろう』と自慢していたんだよ」

 えっ、私本人にはひとことも言ってくれなかったのに。若い頃、俺より稼ぎが少ないのだから仕事を辞めろとまで言ってきたくせに。

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初めて知った、夫の本心…