人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、金木犀の香りについて。
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マンションの入口から外へ踏み出す時は一瞬マスクを外す。
「逆じゃないの? マスクをかけるのでは?」
という人にお教えしたい。
閉ざされた空間が解き放たれた一瞬、押し寄せてくる香り。この時期だけのものである。
おわかりだろうか。もったいつけるにはわけがある。「金木犀」──私にとっての秋の始まりである。
ところがネットなどでは金木犀を知らない人が多いのに驚いた。北海道など寒い地方には少ないようだが、私たちの年代にとっては香りでいえば秋の象徴である。
ネットでは「どんな香りなのですか」という質問が多くあり、香水や他の花になぞらえて説明されている。「栗の花に似ているのですか」という質問もあり、ということはとんでもない思い違いをしている人が意外に多いのだ。
私の住む都心のマンション群は、樹々に囲まれ四季折々の花が咲くが、私が一番自慢すべきと思っているのは金木犀である。その数、百本近く、いやそれ以上? 夕暮れ時、散歩がてら数えて驚いた。
オレンジ色の小さな花が筒状につき一本の木にいくつもぶら下がっている。
途中で数えるのがいやになってやめてしまったが、この庭を作った人はよほど金木犀にこだわりがあったと見える。
これだけあれば、住んでいる人はもちろん、通りがかりの人も「あれ?」と思うにちがいない。清らかで甘い香りが鼻の奥をくすぐる。
よし今日こそは香りの正体をこの目で確かめるべく、近づいて嗅いでみよう。
というわけで庭を歩きまわったが、木に近づくにつれ、香りが強くなるどころかあまり香らなくなるのだ。どうしたことか。遠くへ拡散してしまって、花そのものの香りが逃げてしまうのだ。
香りとは目に見えないだけに、存在の本体を気付かれたくないのか。
かつて中国の桂林から漓江下りの船に三時間ほど乗ったことがある。桂林とは「金木犀の林」と聞き、その林の中で道に迷う自分を想像してみた。あの香りには人を陶酔させる妖し気なものが混じっている。だからこそ金木犀が香り出すと私はそわそわと落ち着かず、まるで猫のように鼻をくんくんさせて一人で、マンションの庭をさまよっている。
その間、何人もの住人と行きちがう。郵便配達やクロネコヤマトのお兄ちゃんもいる。
みなこの時期マスクをかけている。
もったいない。マスクをしていると金木犀は香らない。
「ねぇ一瞬だけ外してみない?」
と声をかけたい誘惑に駆られる。
トランプ大統領のコロナ感染は、マスクをしていなかったのが一因だが、まさか金木犀の香りのせいじゃないでしょうね。そんな風流心をお持ちなら嬉しいが。
※週刊朝日 2020年10月23日号
■下重暁子(しもじゅう・あきこ)/作家。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、NHKに入局。民放キャスターを経て、文筆活動に入る。主な著書に『家族という病』『極上の孤独』『年齢は捨てなさい』ほか多数