具志堅さんは昨年糸満市で、約5年前には八重瀬町で、それぞれ全身の骨格がほぼそろった兵士の遺骨を確認した。いずれも本島南部の砕石業者が破砕前に気付き、連絡をくれたのだ。
「遺骨は地面と同化しているため重機のオペレーターも遺骨と気づかないことが多いのですが、このときはほぼ完全な形で見つかったため、何とか破砕を免れました」
具志堅さんがガマフヤーを立ち上げたのは1983年。日本ボーイスカウト沖縄県連盟でリーダーをしていた具志堅さんは、本土から訪れたボーイスカウト関係の遺族の要請を受け、28歳のとき沖縄戦の遺骨収集に初めて参加した。それ以来、約400柱の遺骨を収集してきた具志堅さんを駆り立てるのは、遺骨の取り扱いをめぐる理不尽な現実を少しでも改善したいという思いだ。
「遺骨が見つかって国に返せば、その遺骨は家族の元に帰れると思っていたら、そうではなかったんです」
見つかる遺骨のほとんどが身元不明だ。軍人は本来、認識票を身に着けているが、日本兵のほとんどの遺骨からは認識票が見つからない。具志堅さんが沖縄戦体験者に理由を尋ねると、「入隊直後に上官に取り上げられた」と教えてくれた。認識票を所持した兵士の遺体が敵国の米軍に見つかり、部隊配置に関する情報が流出するのを避けたい軍の意向があった、というのだ。
この証言を裏付けるように、日本軍の分隊長らしき人物の遺骨から10数個の認識票がまとまって見つかった現場に、具志堅さんは過去3度遭遇したという。
認識票が見つかっても身元判明には直結しない。認識票に刻印されているのは番号だけだからだ。具志堅さんはこの番号を頼りに、厚労省に何度も照会を依頼してきたが、「(部隊の)名簿がないからわからない」と取り合ってもらえないのが常だったという。
「これは失礼な話。国は日本じゅうの家庭の父親や息子を戦地に送っておいて、名簿がないなんてよく言えるなと思いました」
とはいえ今は、遺骨の身元確認技術も進化している。
「沖縄戦の遺骨は腕や足の骨一本でも、国が無料でDNA鑑定を実施しています。出身地の識別につながる安定同位体比検査も可能になりました」