「人並外れた才能の持ち主のため、若手時代から何をやっても結果を出せた。身体のケアなどを多少疎かにしてしまった結果、年齢とともにパフォーマンス低下と故障がちになった。しかし野球の技術に関してはトップクラスのものを持っている。阪神戦力外になってからは人一倍、身体のケア、強化にも注力するようになった。コンディションが万全になれば、NPBでもまだまだできるはず。西岡本人も手応えを掴みつつあるからこそ、再び栃木でのプレーを決断した」(ロッテ時代から知るスポーツライター)

 川崎はホークス黄金時代(ダイエー、ソフトバンク)を築き上げた中心人物の一人。(メジャーへ移籍前に)11年間プレーした福岡では元気者のチームリーダーとして、プレー以外の面でも存在感は抜群だった。野球に対して誠実に向き合い、尊敬するイチローを目指して海を渡った。米国では結果はもちろん、明るさで言葉の壁を乗り越え、熱狂的なファンを獲得するまでに至る。帰国後ソフトバンク復帰するも常に全力疾走したツケが来たのか、燃え尽き症候群のようになり一時は球界から離れる。しかし再び野球熱が再燃、現場に戻って来た。昨年は台湾、今年は新型コロナウイルスの影響もあり、栃木でのプレーを選んだ。

「本人も認めるように、決して身体に恵まれているわけではない。野球への情熱で徹底的に努力を重ね、ファームからの叩き上げで強豪ホークスの中心選手にまで到達した。謙虚な性格で周囲に対する感謝も忘れず、川崎の悪口は聞いたことがない。一時は精神的に疲れてしまいグラウンドを離れた。引き戻したのは自身の野球への愛とともに、ファンの期待に再び応えたいと純粋に思ったから。自分自身はもとより他人を思いやれる、文字通りの『いい奴』」(川崎在籍当時のソフトバンク担当記者)

「トライアウトを受けるから、九州で一緒にトレーニングしましょうよ」

 18年ソフトバンク退団後、精神的に疲弊し自律神経の病気と闘う川崎に西岡が声をかけたという。(9月2日付Number Web)

 紆余曲折の野球人生を経験した2人は、その後、栃木の地で再び一緒にプレーすることになる。しかし栃木に加わった理由や考えは、全く異なるものがある。

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2人はNPBに必要?