もちろん、日本の作曲家の多くが、おそらく今も、そうした意識を持っている。だが、まだ海外からの音楽情報も乏しかった昭和40年代~50年代に、音楽的流行をキャッチし、それを日本人向けにデフォルメさせていく作業は、かなり骨が折れたはずだ。小さい頃にピアノを習っていたとはいえ、専門的な音楽教育を受けず、ある種独学で作曲法を身につけた筒美。しかし、独学だったからこそ、柔軟に洋楽の流行を自分の作曲やアレンジに組み込むことができたのではないだろうか。
筒美の“海外翻訳家・評論家”的な側面が最もビビッドに刻まれたのが、中原理恵が歌った「東京ららばい」だろう。78年3月に発売され、シングル・チャート最高位9位。ショートカットをオールバックにして、大人っぽいファッションの中原理恵が歌った代表曲で、筒美が多くコンビを組んだ松本隆による東京の夜の哀感を描いた歌詞も秀逸だ。
この曲で筒美がアレンジに採り入れたのは大きく分けて3種類。一つは、当時大流行していたディスコ・サウンドである。シンコペーションを伴ったダンサブルなビートに、流麗かつ情熱的なストリングスを掛け合わせた全体の色調は、当時ニューソウルとも呼ばれたブラック・ミュージックに材を取ったものと言える。二つ目は、スペイン・アンダルシア地方の音楽であるフラメンコの要素のギターやカスタネットを加えた。さらに、メキシコの伝統的な音楽であるマリアッチをお手本にしたようなトランペットなどのホーンも挿入。これらがハイブリッドにミックスされているのが「東京ららばい」のアレンジなのである。
もともとブラック・ミュージック好きの筒美がディスコ・サウンドを参照したことはよくわかる。この時代の筒美は他にも多くのディスコ調の曲を書いていて、「シンデレラ・ハネムーン」(岩崎宏美/78年)、「リップスティック」(桜田淳子/78年)、タイトルもそのまま「ディスコ・レディー」(中原理恵/78年)など枚挙にいとまがない。特に同じ松本隆と組んだ「リップスティック」は「東京ららばい」とコインの裏表のような関係の歌詞になっていて興味深い。