フラメンコやマリアッチをそこに掛け合わせるセンスが素晴らしい。急速に発展する東京の夜の孤独を描くにあたり、まず土台をアメリカで当時人気の大衆音楽で華やかなディスコにして、その上にスペインやメキシコの民族音楽の要素を重ねていく。結果、アメリカが移民によって成り立っていることを、それとなく伝えているように感じられる。また、そもそもディスコやブラック・ミュージックがアフリカからの黒人がもたらしたものだという事実も伝わってくる。もちろん、そうした歴史を筒美は先刻承知の上で、近代化する大都会・東京もまた、強者も弱者も含めて様々な境遇・立場の人が渦巻くようになったことを暗に伝えているのではないか。
この曲自体のハイライトは、歌唱力のある中原がサビの最後に「ないものねだりの子守唄」という決め台詞を叫ぶところにあるだろう。その一節は、都会に生きる女性のやるせない孤独を伝え、また一方で強く生きていく決意のようなものも伝えている。華やかなディスコ・ミュージックの流行が象徴するように、ベトナム戦争で疲弊したアメリカが70年代後半以降、再び国家として息を吹き返していく。だが、そんなアメリカにも黒人、ヒスパニック系、アジア系など多様な人種が暮らし、様々な国やエリアの文化が自然とミックスされている……深読みしすぎかもしれないが、筆者はこの1曲からそんなことまで感じてしまう。
もちろん、小学生だった当時、筆者はそこまでわかってはいなかった。「東京湾(ベイ)」「山手通り」「タワー」という都会の風景を切り取った歌詞が、ひたすら刺激的だった記憶しかない。だが、気がつけばこの曲を通じて、海外の多様な音楽文化を吸収していた。筒美京平とは、そういう作曲家・編曲家だったのである。
90年代、洋楽への洒脱なアプローチで人気を博した渋谷系の小沢健二やピチカート・ファイヴといったアーティストと組んだことから、海外音楽の“翻訳”という役割も担った筒美の志が受け継がれていることを実感した。作曲家生活30周年を記念し、レコード会社18社が協力して1997年にリリースした2種類のボックスセット『HISTORY~筒美京平 Ultimate Collection 1967~1997』は今も筆者の宝物だ。改めて心からご冥福をお祈りしたい。(文/岡村詩野)
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