退院後に石碑の管理者に電話をして「北原ミレイ 創唱」と入れてもらいました。翌年の年賀状には石碑の写真とその横に「僕が新しく生まれて初めてやった良いことです」と書き添えました。


 
 こうして、僕にとって後悔しそうなことは何もなくなりました。仕事も「痛恨の思いが残るほど」やり残したものはありません。今は好きな黒澤映画と夏目漱石の小説を何度も繰り返し読みながら、 冒頭で申し上げたとおり、「ゆっくり食べ、ゆっくり湯につかって、ああ、いい気持ち」という毎日を送っています。仕事を始めて60年、80歳にしてようやく、そんな安息の日々が、僕にも訪れたわけです。

「夜と朝のあいだに」(ピーター)、「人形の家」(弘田三枝子)「恋の奴隷」(奥村チヨ)などの大ヒットを連発していた、1970(昭和45)年、なかにしさん31歳当時の朝日新聞のインタビュー記事。驚異的なヒットメーカーぶりに「オバケの礼」と呼ばれていたと記事にある。ご本人も「べらぼうだと自分で思います。作って80%は当たる」と語っているが、これを読んだなかにしさんも当時の自分に「なまいきだなあ」と笑顔。ただ、インタビューの最後には「もの心ついてから、ゆっくり食べ、ゆっくり湯につかって、ああ、いい気持ちなんていう日、一日もありませんでした」と、平穏ではなかった人生を感じさせる一言も述べている。

なかにし・れい/1938(昭和13年)年、中国黒龍江省牡丹江市生まれ。立教大学文学部仏文科卒。在学中からシャンソンの訳詩を手がけ、64(昭和39)年「知りたくないの」のヒットを機に作詩家となり活躍。「今日でお別れ」「天使の誘惑」など約4000曲の作品を生み出し、日本レコード大賞を3回など受賞歴多数。その後、作家活動を開始し、『長崎ぶらぶら節』で直木賞を受賞。『てるてる坊主の照子さん』はNHK連続テレビ小説「てるてる家族」の原作となる。2012年、食道がんを公表。先端医療の陽子線治療を選択し、一度は克服したものの、15年に再発を明かし、闘病生活に入る。