浜矩子/経済学者、同志社大学大学院教授
浜矩子/経済学者、同志社大学大学院教授
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菅義偉首相 (c)朝日新聞社
菅義偉首相 (c)朝日新聞社

 経済学者で同志社大学大学院教授の浜矩子さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、経済学的視点で切り込みます。

【写真】指導力が問われる菅首相

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 筆者はカトリック信者だ。カトリックの信仰の中に、職種別の守護の聖人の存在がある。「聖人」は、カトリック教会が与える称号だ。殉教者や、世のため人のために命がけで尽くした高潔なる人々が「列聖」される。

 およそ、ありとあらゆる職業を守護の聖人が受け持ってくれている。医師・看護師・アスリート・芸術家。エコノミストにも、守護の聖人がおいで下さる。そして政治家にも。

 政治家の守護の聖人は聖トマス・モアである。かの空想国家小説「ユートピア」の作者だ。15世紀のイギリスに在って、ルネサンスの旗手となった。そして、権力に対して敢然と立ち向かった。ヘンリー八世がカトリック教会から離脱し、国王を頂点とする英国国教会を創設しようとした時、それに断固反対した。王宮の重鎮でありながら、真っ向から国王陛下を諭し、批判して憚(はばか)らなかった。微塵の忖度も働かせなかった。その結果、反逆者として処刑された。

 この人に守護されているのが政治家たちである。つまり、政治家たるもの、反権力・反強権でなければいけないということだ。異を唱える者を排除する。そのような権力者とひるむことなく対峙する。その覚悟ある者の上に、聖トマスの加護がある。

 これでよく分かった。今の日本において政府・与党を構成している人物たちは、政治家ではないのである。カトリック教会が定めた守護の聖人の人となりと、整合するところがまるでない。聖トマス・モアの守護に値するために、従うべき「業務記述書」に全く従っていない。

 反権力どころか、菅首相は絶対権力を掌握することにきゅうきゅうとしている。忖度なき者は、その「王宮」から立ち退かせる。異論ある者は、強権的に公職から遠ざける。今の日本の政府・与党は、本来の政治家の集団ではない。本来の政治家が対決すべき陣営に身を置いている。彼らからは、政治家という職業名が剥奪されるべきだ。彼らは、聖トマスの守護対象リストには、端から含まれていなかったのである。そう確信する。

 聖トマスが、喜んで守ってくれる本当の政治家。その出現が切迫感をもって熱望される。それが、今の日本だ。

浜矩子(はま・のりこ)/1952年東京都生まれ。一橋大学経済学部卒業。前職は三菱総合研究所主席研究員。1990年から98年まで同社初代英国駐在員事務所長としてロンドン勤務。現在は同志社大学大学院教授で、経済動向に関するコメンテイターとして内外メディアに執筆や出演

AERA 2021年1月11日号