そして、俺が憧れる大人といえば、やっぱり北の富士さんだ。天龍源一郎の憧れるカッコいい人で殿堂入りだね(笑)。相撲の現役時代、北の富士さんが出羽海部屋から九重部屋に移るとき、本来ならご法度なのに「北の富士が出るならしょうがない」ってみんなに言わしめたんだ。北の富士さんの日々の行いがみんなにそう言わせたんじゃないかな。「(九重親方の)千代の山関に相撲の世界に入れもらったんだから、部屋を持ったら付いて行くのが筋だ」って、鶴田浩二の世界だよ! 北の富士さんと付き合ったことがないとピンとこないと思うけど、一晩か二晩、酒席を一緒にしたら必ず惚れると思うよ。俺の娘も20歳くらいのときにご一緒して「カッコいい~」って惚れたくらいだからね。
北の富士さんが横綱の頃は、北の富士さんの班と、こちらも横綱の玉の海関の班の2班に別れて地方従業をやっていたんだ。3~4場所を残して玉の海関が急逝したとき、すでに巡業を終えていた北の富士さんが、横綱の玉の海関を楽しみにしていたファンがいるんだからと、代わりに巡業に参加したんだ。そして、横綱の土俵入りを披露するとき、本来は雲龍型の北の富士さんが、玉の海関の不知火型(しらぬいがた)で土俵入りをしたんだよね。こういうところも粋だよね。
北の富士さんくらい、相撲をやめた後も日の当たる場所をずっと歩いている人はいないよ。映画界の人が石原裕次郎さんに憧れるのと同じく、相撲界の人は北の富士さんに憧れるという人は多いよ。そんな北の富士さんだけど、俺もまいっちゃったことがたくさんある。例えば、一緒にスナックに行って、俺がカラオケで気持ちよく歌っていると「源ちゃん、そんなに下手なのによく歌えるね」って。あれにはさすがの俺もカチンと来たよ!(笑)
それから、プロレスラーになってから九重部屋に顔を出したとき、横綱の千代の富士関と言い合いになったことがあるんだけど、その場にいた北の富士さんが仲裁するかと思ったら「俺、知らな~い」ってどこかへ行っちゃった。あれは疾風のように早かったよ(笑)。飄々としてお茶目なところも憎めない。大相撲中継で解説やっている時も、舞の海が長い講釈をしていると「俺はわかんないな~」なんて平気で言うからね(笑)。舞の海も北の富士さんにそう言われたら困っちゃうよ。
大人がテーマだったけど、結局また北の富士さんの話になっちゃったね(笑)。成人式かぁ……70歳の今になって振り返ると、20歳はまだ人生の何分目かだ。かつての俺もそうだったけど、若い頃はつい功を焦ってバタバタしてしまうけど、しっかり自分の考えを持って足元を固めた方がいいっていうのが俺の結論だ。ちゃんと地に足をつけて頑張っていれば、きっと結果はついてくるよ!
(構成・高橋ダイスケ)
天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす。