――発売当時の「ドラゴンクエスト」は新しく画期的な作品でしたが、受け入れられる自信はありましたか?

当時のRPGはマニアックな分野だったので、いきなりファミコンに持ち込むのはハードルが高いという見方もありました。それを見越して、実は担当していたジャンプのゲーム紹介ページで、「RPGはこんな遊びだよ!」「こんなに面白いよ!」と啓発していたんです。ジャンプでさんざん啓発していたので、わからないことはないだろうと(笑)。

――シナリオは最初から結末まですべて決めてから開発を始めていたのでしょうか?

開発前に決めているのは、ざっくりとした部分だけです。「主人公はこんな人物で、魔王を倒す」というところまでは決めていますが、こまかいところは徐々に決めていきます。最初の打ち合わせ段階では、まずメモリの配分について決めることから始めていました。マップにこれだけデータを持たせて、モンスターの分野にこれだけ持たせてという専門的な内容です。それに合わせてマップを描いて、マップに人を置いて、人に番号をふって、せりふを書くといったように設計図を書いて、プログラム担当のチュンソフト(現在は株式会社スパイク・チュンソフト)に渡すわけです。

――シリーズを重ねるごとにゲームのシステムも様変わりしていきました。

「I」ではデータの容量がかなり限られていたので、職業や転職など、やりたかったことをほとんど切り捨てました。「II」になると容量が倍に増えて、できることが増えていった。「ロト三部作」の最後になった「III」では、やりたかったことを全てやり終えた感じでしたから、「IV」では「何をしようか」とずいぶん悩みました。前作が社会現象になって期待が高まっていた分、プレッシャーだらけでした。

――シリーズの中で一番苦労したのは「IV」ですか? 

いや。実は「VII」ですね。ちょうどその作品から、メディアがCD-ROMになったんです。容量を気にしなくなったことで、世界を大きくし過ぎて、逆に開発が終わらなくなり、発売が2年も延びてしまいました。プレイ時間も長くなったので、プレーヤーも大変だったと思います(笑)。

――時代とともにゲームは様変わりをし、カセットやCD-ROM、いまではオンラインやスマートフォンを用いたゲームも当たり前になりました。

オフラインとオンライン、僕は両方あっていいと思っています。人生において、人は一人でいたいと思うときもあるし、大勢でいたいと思うときもある。そういう意味でオンラインがはやっても、一人で遊ぶオフラインのゲームはなくならないと思います。日本人は気遣い屋さんが多いから、一緒にパーティを組むとやめられなくなっちゃう人もいるし、疲れてしまう。そこで、「X」ではサポートキャラクターというシステムを考えたんです。他のプレーヤーがログアウトしたときに、その人のキャラクターを借りて、一緒に冒険できるようにしようと。お互いに貸し借りがあったことを分かるようにすることで、ソロで遊んでいるときも、軽い人間関係ができる。

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