いまや、国内のみならず世界中のファンからも愛される作品となった「ドラゴンクエスト」シリーズ。その生みの親である堀井雄二さん(67)に、同作のルーツや創作の秘密、今後の「ドラゴンクエスト」について聞いた。
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――2020年は堀井さんが生み出した傑作のひとつ、ファミコン版「ポートピア連続殺人事件」の35周年となる節目の年でした。
けっこう時間がたちましたね。もともとは1983年にパソコンで発売されたゲームで、85年にファミコンに移植されました。「ドラゴンクエスト」のようにシリーズ化はされていませんが、不思議と、それほど時間がたったように感じません。
――86年、その「ドラゴンクエスト」が発売され、「国民的RPG」と呼ばれるほど人気のゲームになりました。
80年代前半はプレーヤーが行動を選択して物語が進んでいくアドベンチャーゲームがはやっていました。でも謎解きに詰まってしまうとプレーヤーのやることがなくなっちゃうんです。その点、RPGならレベル上げで遊べる。ただ当時「ウィザードリィ」(81年)のようなRPGはありましたが、自由度が高い分、何をしていいのかわからない人も多かった。そこで、シナリオを作ることでレールを引いてあげれば、とっつきやすくなるんじゃないかと考えたんです。83年に発売されたファミコンは、ゲームセンターでやるようなゲームを家で遊べるという点で画期的でした。「もしファミコンでRPGを遊べたら、きっと皆がハマるんじゃないか?」と思い、それで、ファミコンの世界でRPGを表現しようと決めて、エニックス(現在はスクウェア・エニックス)に打診したんです。
――「ドラゴンクエスト」シリーズには、職業選択や結婚イベントなど、これまでのゲームにはなかったような画期的なアイデアがふんだんに盛り込まれていました。こうした発想はどのように生まれたものなのでしょうか?
僕は昔から妄想癖があるんです(笑)。無人島に一人で行ってみたり、タイムスリップしたり。いろんなことを想像するのが好きなんです。いまでこそ分業化が進み、人に任せることも増えてきましたが、昔はシナリオだけでなく、モンスターやお店の売り物、値段なんかも全部自分で決めていたんです。ビルの建設に例えると、ねじの一本一本の太さまで自分で考えていました。自分自身もゲーマーなので、そうしたことを考えたり決めたりするのが楽しくて仕方がないんです。子どものころから「次はどんなことをしてみんなを驚かせようか」なんてことばかりを考えていました。あとは父親が発明好きだったことも影響しているかもしれません。いわゆる「町の発明家」で、お金にならないものを作っていて、実際に作ったものが家にあって、家族で笑っていたのを覚えています。