本当に嫌でコメンテーターをやっている人はいない。出ることに何らかのメリットがあるから出ているわけですよね。ギャラのメリットではなく、コメンテーターをやっていると自分の講演会で儲けられるとか他に仕事が入ってくるとか何かしらあるからやっている。芸人のコメンテーターがナシなのであれば、他の職業の人たちだって、弁護士なら弁護士の仕事に専念してろ、大学教授ならコメンテーターの仕事を何本も受けている場合じゃないだろって話になる。「必要とされていますから」って言ったって、あなた本職は違うでしょ? ってなる。芸人のコメンテーターが必要か不要かを論じるのであれば、芸人以外もたたかないと。あれはいい、これはダメという次元ではない。何回も言うけどテレビは誰でも出ていいんだから。
昨年「#検察庁」をTwitterにあげた芸能人に対して散々芸能人も言うべきだとか、タレントも意見をするべきだとか称賛していたくせに、芸人コメンテーターの不要を唱える人は、じゃあ、あの「#検察庁」も必要なかったのね? ってこと。あぁいうことも芸能人は語るなってことね?
コメンテーターの件で思ったのは、人間ってどうしてこうも差別や区別をしたがるんだろうな……そういうのが増えすぎているような気がして。年末年始、暇だったからTwitterをよく見ていると、Twitterではまぁーよくケンカしていますよね(笑)。有識者と言われる人たちもTwitterには悪口を書き込んでいて。たまに、個人に対しての悪口も書かれている。アイツは右だ、左だって悪口を言う。誹謗中傷はダメだって言われているのに、悪口は「自分の意見」として書き込むんだけど今それ言う必要ないんじゃない? ってこともたくさん。アンタ、面と向かっては言わないし、テレビでも言わないのにという人が、いきなりTwitterだと悪口を書き込んだりして。右の人は左の人に、左は右への悪口。普通に考えたら、そのやり方気持ち悪くねぇ? Twitterだけでいつもやり合っているのって。
コメンテーターの存在そのものを反対だ、賛成だと言うのは自由ですけど、それを語ること自体ナンセンスだと思う。自分がコメンテーターをやっているから自分を守るために言っているのではなく、俺も必要なかったら切られるだろうし(笑)。そこだけでメシ食っているわけではないし。
■カンニング竹山/1971年、福岡県生まれ。お笑い芸人。2004年にお笑いコンビ「カンニング」として初めて全国放送のお笑い番組に出演。「キレ芸」でブレイクし、その後は役者としても活躍。現在は全国放送のワイドショーでも週3本のレギュラーを持つ。オンラインサロン「竹山報道局」は、ネットでCAMPFIRE を検索→CAMPFIREページ内でカンニング竹山を検索→カンニング竹山オンラインサロン限定番組竹山報道局から会員登録