江戸時代や明治時代の古地図を片手に街を歩き、土地の魅力を再発見する……そんな新しい趣味が注目を集めつつある。古地図をテーマにした漫画も登場、さらに紙の古地図だけでなく、iPhoneやアプリなどでも古地図が販売されており、タイムトリップを手のひらで楽しめるようになった。

 こうした古地図ブームの背景には、昨年まで放送されていたNHK「ブラタモリ」の影響もあるようだ。江戸時代の地図はとりわけ人気が根強い。大型書店には、江戸と東京を対比した地図や解説本が何冊も並ぶ。吉良邸から泉岳寺まで、どの道を行ったのかなど、歴史上の事件をたどるのも面白い。

 江戸東京博物館客員研究員の近松鴻二さんによると、江戸時代には優に千種類を超す地図が刷られた。サイズの違いによって、畳2枚ほどの「大図」、たたんで着物の袖や懐に入れられる「小図」、その中間の「中図」がある。ではなぜ江戸時代に地図が発達したのだろうか。

「付け届け、賄賂を届けるために必要だったからです」

 と近松さん。江戸時代は贈答社会だったのだ。

「今の政府とは違って、幕府の役人は数が少なく、旗本や御家人でもなかなかいい役職につけなかった」

 希望のポストを得るための猟官運動として、有力な人に賄賂を贈ったという。ところが武家屋敷のある武家地は町名も番地もないし、表札も出ていない。だから地図が頼りだったのだ。

AERA 2013年4月8日号