次々に衝撃的な問題作を発表し社会現象を巻き起こしながら、テレビ番組への出演でも親しまれた映画監督・大島渚。没後10年を迎え新たな観客も獲得しているその作品は、より一層存在感を増している。監督ゆかりの人たちに話を聞いた。
【写真】デヴィッド・ボウイ、ジャック・トンプソン、大島渚監督、坂本龍一
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映画監督・大島渚。学生運動を総括した「日本の夜と霧」(1960年)が上映打ち切りになり、61年に松竹を退社、独立。元日本軍在日韓国人傷痍軍人・軍属を追ったテレビドキュメンタリー史に残る傑作「忘れられた皇軍」(63年)、死刑制度をテーマとした「絞死刑」(68年)、子どもを使った“当たり屋”の実話に取材した「少年」(69年)、旧家の冠婚葬祭を舞台に因習にとらわれた人間群像が描かれる「儀式」(71年)、復帰直後の沖縄で撮影された「夏の妹」(72年)など、数々の問題作を発表した。
その後は海外に軸足を移し、日仏合作の「愛の亡霊」(78年)でカンヌ国際映画祭監督賞を日本人として初受賞。「戦場のメリークリスマス」(83年)はパルムドールこそ逃すが、カンヌで熱烈に支持された。
常に大衆性と前衛性の共存を指向した大島にあって、もっとも象徴的な作品が「戦メリ」だ。
舞台はジャワ(現インドネシア)の日本軍俘虜収容所。カリスマ的人気を誇るロックスター、デヴィッド・ボウイにYMOの坂本龍一、ビートたけしが出演。そんな作品に、それまで大島の映画の観客には少なかった若い女性が熱狂し、大島の元には丸文字のファンレターやバレンタインデーのチョコレートまで届くようになった。大島は非常に感激し、手紙には丁寧に返事を書いた。バレンタインデーのチョコレートは、亡くなるまで長い闘病期間中も3人の「元戦メリ少女」から届き続けたという。
それほどまで彼女たちを熱狂させたのはなぜなのか。『大島渚全映画秘蔵資料集成』の編著者で映画評論家・映画監督の樋口尚文さんはこう言う。
「大島映画は昔から難解と言われますが、難解なのではなく性急なんです。大島さんという個の論理と生理でできていて、一足飛びに物事の核心に向かっていく。その性急さが彼女たちの感覚とシンクロしたと思います」