元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。
【写真】人生初のクロスカントリースキーで 稲垣さんが見た美しい風景はこちら
* * *
かくして全てが初体験の中、紆余曲折を経て虎の子の家を「大損こいても売る」決断までようやくたどり着いた自分を大いに褒めたいところだったが、そんなヒマはなかった。そうと決まれば家を空にせねばならないのである。
何しろこの家を出て東京に引っ越した時は、1年後に会社を辞めると心の中で決めていて、もちろん辞めたらここへ戻って来る気満々だったので、大きな家具(ソファ、テーブルなど)、蔵書、鍋や食器、客用の布団などは置いたままにしていた。売るとなれば、それをすべて処分せねばならない。
で、考えてみればこのようなことは人生初の事態なのである。
引っ越しは何度もした。正確には社会人になって9回引っ越した。その度に不要品をそれなりに整理したが、原則として荷物はすべて次の家に運び込んだ。というか、年々増えていく大量の所有物が入ることが、家を借りる上での最初の条件だった。恵まれた会社員だったゆえそのような所業ができたのである。
ところが会社を辞めた今となっては当然そのような選択肢はなく、家サイズにあったモノしか所有できない。で、現在の収納ゼロのワンルームマンションには、今ある最低限のもの以上の皿一枚、本一冊運び込む余裕はないのだ。
こうして自分史上前代未聞のプロジェクトがスタートした。モノ溢れる現代ゆえ、ネットを検索すれば不要品処分の宣伝は溢れている。2トントラック積み放題なんていうのもある。そんなページを次々見ていくと、宣伝のメーンターゲットは「遺品整理に悩む人々」らしいということが分かってきた。なるほど家を空にするとは通常、人が亡くなった時にすることなのだ。いわゆる断捨離とは次元が違う。捨てるものと残すものを選ぶのでなく、すべて捨てる。そのようなことは通常、生きている人はやらない。人が死んだ時、残された人がやるものなのだ。
ってことは、私がやろうとしていることは生前葬のようなものなのだろうか(つづく)。
稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行
※AERA 2021年2月22日号