だが31年の満州事変以降は、世のまとう灯が弱まっていく。誌面には、満州や上海の情勢がたびたび紹介されるようになり、世相・風俗を報じるページは影が薄くなる。物価の上昇や失業者の増加で、現代で言うホームレスの実態を描く記事が目立つ。鉄飢饉(37年3月14日号)、「ガソリン切符制」が始まり、「油の一滴は血の一滴」「惜しめガソリン、惜しむな努力」(38年3月20日号)、「砂糖なしデー」(同5月8日号)、「国民服」(同9月25日号)など、時代が緊迫してきた様子がうかがえる。
41年12月の真珠湾攻撃以降は、スローガンや標語が誌面に躍る。「進め一億火の玉だ」(41年12月21日号)、「撃ちてし止まむ」「米鬼獣英」(43年4月4日号)、「一億体当たりの秋」(44年2月13日号)という具合だ。
終戦の翌年、物不足や戦災孤児の問題を抱えながら復興が進み始める。作家の宇野千代は46年2月10日号で、女性がリボンやカチューシャを使い始めたことを「平和の始まり」と題するエッセーに書いた。貧しいながらも工夫して生きる国民のたくましい姿が多く報じられるようになる。
その好例が「新円生活」(46年3月10日号)だろう。敗戦による超インフレ対策として2月16日に政府から「円の切り替え」が発表され、新円紙幣の発行と旧紙幣の流通停止が決まる。翌日から預金は封鎖され、3月3日には旧円が使えなくなる。銀行預金はすべて新円に差し替えられ、引き出し額は制限された。
3月24日号では「物々交換」が盛んな様子がリポートされ、3月31日号には作家の平林たい子が「私の新円生活」として、旧円使用最後の日に余った旧円を使い切って不必要なかばんを買ったことを告白している。さらに6月30日号では不足する新円を手にするため「内職生活」や「苦学生ならぬ苦食学生」による「新円稼ぎ」が盛んになっていると報じている。
新しい風俗も広がった。47年9月21日号では「裸体撮影会」、10月19日号では「裸レビュー」、11月2日号では「パンパン・ガール」が取り上げられている。ちなみに、裸レビューとはいわゆるストリップの元祖。記事によると新宿帝都座で催された絵画のモデルに扮した裸の女性による「ヴィーナスの誕生」が大受けし、連日開演前から行列ができる人気を博した。他の劇場でも続々と始まったという。ストリップショーはこうしてスタートしたのである。(本誌・鈴木裕也)
※週刊朝日 2021年3月5日号より抜粋