その時代を反映する新語・流行語。創刊99周年を迎えた「週刊朝日」にも多くの言葉が登場してきた。戦前から戦争直後の新語・流行語を振り返る。
「週刊朝日」が創刊された1922(大正11)年は大正デモクラシー後期にあたり、普通選挙実現を求める普選運動が盛り上がっていた時代。23年の関東大震災以降の「復興気分」に引っ張られるように男女平等の機運も高まり、婦人運動団体の活動も活発化しつつあった。当時の誌面では、小説や随筆、風刺マンガなどが多く、婦人や子供を意識した記事に多くのページが割かれていた。
そんな時代を反映してか、女性に関する新風俗を報じる記事が誌面を飾るように。なかでも頻出したのが、女性の新職業として注目されたマネキンガール、つまりアパレル店の販売員である。
24年1月20日号のマンガには「世間ますますぜいたくになり」として、マネキンガール誕生のきっかけが描かれている。映画女優に新作の服を着せて街を歩かせて宣伝したが、その手が足りずに「美人募集」の広告を出したという。以来、多くの女性が志望し、29(昭和4)年9月22日号では「東京・丸ビルのM店がマネキンガールを募集したところ、160人を超える女性が集まったが、採用されたのは7人」という人気職業になった。この狭き門を突破するには「イット(あるもの)」が必要と報じたのは30年7月6日号。グラビアで2人の写真を載せ、米国の女優に例えた洋服宣伝係の言葉を紹介している。
<マネキンには『イット』がなければなりません。クララ・ボウのような『アレ』がなければなりません。エロを発散さすところにマネキン嬢の興行価値があると心得ていいです。つまりエロっぽいということがマネキン嬢の第一の信条です>
この「イット」は流行語となり、「イットガール」という言葉ができた。くわえて「ステッキガール」「マネキンガール」「エレベーターガール」など最先端の女性の様子を盛り込んだ。「尖端ガール」という創作小唄までつくられ、翌号(7月13日号)に掲載された。