「おや?」と思って立ち止まる。そしてはじまる旅の迷路――。バックパッカーの神様とも呼ばれる、旅行作家・下川裕治氏が、世界を歩き、食べ、見て、乗って悩む謎解き連載「旅をせんとや生まれけむ」。第43回は、鍋を叩くという抗議活動の起源について考えた。
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鍋を叩く──。ミャンマー軍のクーデターに抗議する市民の意思表示としてずいぶん有名になった。人通りが少ない夜、鍋を叩く音だけが響くヤンゴンの街の映像は、ちょっと怖い。
調べると、鍋を叩く抗議行動は、ミャンマーだけではなかった。古くはフランス。パリの女性たちが、食糧不足や不況に抗議して叩いたという。南米での鍋を叩く抗議行動は、カセロラソと呼ばれているのだという。女性が抗議する手段として鍋に結びついたらしい。
日本に暮らすミャンマーの少数民族、ラカイン族に訊くと、もともとこの習慣はラカイン族のものだという。しかし政治的な抗議行動とは少し意味合いが違う。
ある村が災いに襲われたとき、寺の僧侶を先頭に鍋を叩いて道を歩いたのだという。その音で村に憑いた悪霊を追い払うといった意味合いがあったのだという。女性が叩くのではなく、村人全体で鍋叩き行列をつくり、村内を移動していった。
そう聞いて思い出す民話があった。
沖縄の新城島に伝わる「疫病を運ぶヨーラー(夜烏)」という話だ。要約すると──。
ある夜、老人が浜に出かけると、カラスが乗ってきたくり船を浜にあげようとしていた。老人は手伝ってあげ、「なにしにきた」と訊いた。するとカラスはこういった。
「神様からこの島に風邪の種を撒きなさいと命令されて天国からやってきた。これから島に風邪の種を落としにいく」
カラスたちは船を岸にあげてくれたお礼にこう続けた。
「夜の7時か8時頃に集落に風邪の種を撒きに行く。そのとき、“なーまーやーど、なーまーやーど”と、杵で臼を叩きながら、大声で唱えろ」
“なーまーやー”は老人の屋号だった。新城島の人たちは、それ以来、カラスがくるたびに大声で唱えた。そのおかげか、新城島には風邪の種がめったに落ちなくなった。