その確信が揺らいだのは、留守中に届いていた宅配便を見た時である。

「ご不在連絡がスマホに届く!」

 という貼紙が包みの上に「これ見よ!」とばかりに貼りつけてあったのだ。

 私は意味不明のその貼紙を、意味不明であることに腹を立てて剥ぎ取って丸めて捨てた。

 そんなもん、わからんかて、生きていくワイ、と胸に叫んだ。私は感情が高まると生れ故郷の言葉になる。

 そうこうして(インターネットを無視していると、生きて行けない時が来るかもよ、と誰かに言われたことがあったが)、それを切実に思い出す時が来たのである。

 ある日の朝日新聞の書評欄にぼんやり目を向けていた時のことである。

「……私はこの社長が大好きだ」

 という一行が目に飛び込んで来た。この頃の私の視力はとみに衰えて、新聞は読むというより「眺める」という見方になっている。視線を漂わせていると、向う(つまり紙面)の中から言葉、あるいは文章が飛び出してくることがあり、「おっ!」と思って改めて読み直すという読み方になっているのだ。

「一番好きなシーンは、会社のパソコンがウイルスに感染したのは自分がインストールした囲碁ソフトのせいではないかと社長が怯えるくだり。私はこの社長が大好きだ」

 それは長嶋有さんの「泣かない女はいない」という短篇小説についての歌人の山田航氏の批評である。私の目が引き寄せられたのは「私はこの社長が大好きだ」という一行だった。小説の登場人物を「大好きだ」と書く書評は珍らしい。その「大好き」の一言で私は「泣かない女はいない」を読みたくなった。書評で「大好き」といわれる社長はどんな人物なのか、私は読まないうちからもう、この「社長」を好もしく思っているのだった。

 だがその一方で、私は気がついていた。「会社のパソコンがウイルスに感染したのは自分がインストールした囲碁ソフトのせいではないかと怯える」とはどういうことなのか、私にはわからない。パソコンがウイルスに感染?

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