岸信介は首相当時、沖縄返還に先立つ1960年、日米間の「より対等な関係」を目指して、日米安全保障条約を改定し、米軍の日本配備のための「日米地位協定」をアイゼンハワー米政権との間で結んだ。しかし、その地位協定には、より対等な関係であれば「常識」であるはずの項目が欠けていた。
日米地位協定第5条2項は、オスプレイなどの米軍機が基地間を自由に移動する権利を定めている。このため、米軍機が基地間移動を名目に、日本全国の上空を飛び交うことになる。さらに日米地位協定を補足した航空特例法によって、米軍機には地面や建物などから150メートル以上の高度を保たなければならないという最低安全高度の規制が免除されている。
「1957年には茨城県で、自転車に乗っていた女性が超低空飛行の米軍機に引っかけられて胴体を二つに切られてしまう事件が起きた。どんな低空飛行だ。そんなことを許している国があるか。よその国に来て、どうしてそんな訓練をしなければならないのか」
日米地位協定の問題を追及している沖縄国際大学教授の前泊博盛は、憤りをもってこう語る。前泊によれば、同じ第2次世界大戦の敗戦国であるドイツやイタリアでは米軍機の低空飛行は実質的に禁止され、韓国では米軍基地内の汚染については各自治体が基地に立ち入り調査できる共同調査権が設定されている。
さらに時代錯誤の項目が日米地位協定には存在する。第17条の刑事裁判権。この条項によって、政府は米国の実質的な「治外法権」を認めている。前泊は言う。
「米兵が罪を犯しても罰することができない最大の原因となっている条項です。しかし、こんな治外法権を許している現代の独立国があるでしょうか。外務省はこういう問題を知りながら頬かむりしているのです」
(文中敬称略)
※週刊朝日 2013年5月3・10日号