

タレントでエッセイストの小島慶子さんが「AERA」で連載する「幸複のススメ!」をお届けします。多くの原稿を抱え、夫と息子たちが住むオーストラリアと、仕事のある日本とを往復する小島さん。日々の暮らしの中から生まれる思いを綴ります。
【写真】震災から10年 避難訓練を定期的に行う自治体も増えた
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東日本大震災から10年。町々が黒い波にのまれ、原発の屋根が吹き飛んでから10年。東京で微量の放射性物質入りの水道水を飲んで命をつないでから10年。いくら考えても、10年という時間を線状の時の流れで捉えることができません。私はまだあの時のことを整理できずにいます。当時の記憶は、車窓の向こうの月のように、どんなに速く走ってもついてきます。決して後ろに置いていくことができません。なのに、時が経つほど、あの日のことを語るのは難しくなりました。自分よりもはるかに多くのものを失い、つらい思いをしている人々が大勢いるのに、“たかが東京で揺られた程度”の体験を語るべきではないのではという思いが強くなったのです。被災地には8年間、足を踏み入れることができませんでした。震災直後から東北に通い支援をしてきた知人たちは「行ける時が来るまで、待てばいい」と言いました。ようやく縁あって宮城県の南三陸町を訪れてからは、なおのこと語れない思いが大きくなりました。
これまで震災について自分の体験を何度か書いてきましたが、今回はそれも書けません。書けないことを受け入れればいいと気づきました。知らぬ間に負った深い傷や、低温火傷のように時間をかけて浸透する損傷もあるのだと思います。「もっと大変な人がいる」「それぐらいのことで」という内なる声は消えません。それでも、あの震災で立ち直れないほどの傷を負ったことを自分ぐらいは認めてやってもいいのではないか。その痛みや苦しみが正当なものだと誰かに証明する必要もありません。頑張って言葉にしなくても、痛みを痛いまま、言葉にならないものをならないままに生きてもいいのだと、10年経ってやっと思えました。「節目」で区切りがつくわけではありません。人それぞれに、消えない月と生きていくのですね。
小島慶子(こじま・けいこ)/エッセイスト。1972年生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『幸せな結婚』(新潮社)。『仕事と子育てが大変すぎてリアルに泣いているママたちへ!』(日経BP社)が発売中
※AERA 2021年3月15日号