TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。東日本大震災の遺族について。
* * *
「あれから10年。たくさんの、大切なものを奪われた人たちは、それぞれの思いを胸に今を生きています」
「今日でまる10年。今日、この日を迎えました。長いような、あっという間のような。放送をお聴きの皆さんはどんな思いがありますか?」
ロバート キャンベルさんと高橋万里恵さんのこんな語りかけからオンエアしたのが『LOVE&HOPE~10年目の春だより』(2021年3月11日)。
死者・行方不明者、関連死を含め2万2192人が犠牲になった東日本大震災。避難生活を送る人は4万人を超え、多くが立ち止まったままだ。
その後も地震が相次ぎ、台風や水害が命を奪っている。災害が起こったとき、まず命が大事という言葉は日本人なら誰もが心に重く受け止めるようになった。
住宅や道路、鉄道などインフラの復旧は進んだ東北復興だが、現在も県内外の避難者が3万5千人以上の福島県ではまだ「進んでいない」
津波と原発事故で失った家族を捜し続け、生きた証しである自らの土地を守ろうとしている人がいる。
「生活した場所が更地にされ、(汚染土や廃棄物の)中間貯蔵施設になってしまうのはちょっとしんどい」と言う木村紀夫さん(55歳)は福島県大熊町に住んでいた。
福島第一原子力発電所の1~4号機があった町の半分以上は帰還困難区域や中間貯蔵施設予定地になっている。
木村家では、奥さんとお父さん、そして次女・汐凪(ゆうな)ちゃんの3人が海に消えていった。そして汐凪ちゃんだけ行方がわからなくなった。自宅は福島原発から3キロの帰還困難区域となり、捜すことができる日は限られた。
汐凪ちゃんが通った熊町小学校に行くと、震災当日に開かれていた教科書やランドセルがあり、穏やかな日差しに照らされた教室からは子供の声が聴こえてきそうだった。防護服の僕たちを木村さんが次に連れて行ってくれたのはパンジーが咲く小さな土手。