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すでに東京では満開の時期がすぎてしまったようだが、今年は全国的にさくらの開花が例年より10~12日ほど早いらしい。ここ数年、毎年例年より早い、という年が続いていて、この言い回しはもう時節にあわないのではないかと思えるようになってきた。実際、十数年前、桜は入学式を彩る花のイメージだったが、今ではすっかり卒業式のころに咲く花となってしまった。特に今年は、ゴールデンウィークに見ごろを迎えていた青森や北海道南部あたりも、すでにそれ以前に満開を迎える予測が出ている。
●日本には600種ほどの桜がある
こういった「開花」の話は、一般的に桜といってもソメイヨシノのみを指すことが多い。寒桜、しだれ桜は一般的にソメイヨシノよりも早く咲き、山桜や八重桜は少し遅く咲く。簡単に桜の名を挙げたが、日本には600ほども種類があり、桜の種で日本にないものはないとまで言われるほどらしい。日本人の桜好きがよく表れている話である。江戸時代も戦後の復興期にも、桜のある種が絶滅するのを危惧して、いつの時代も職人の方々が保存に尽力を重ねてきた結果が今に続いている。ありがたい話である。
●神さまが棲まう木
以前も少し取り上げたが、桜の花は日本人にとって神につながる花であることも大きい。他の花は個人の好みで好き嫌いがあるだろうが、桜の花を嫌いな人をあまり知らない。散りゆく花びらを掃除する時には少し面倒な思いもするが、散った花びらが水面に作る美しい様を「花筏」と呼び、風流を楽しむこともできる。
「坐」と書いて「くら」とも読む。先だっての天皇陛下の即位の礼で登場した「高御座」を(たかみくら)と読むように、人が土の上に向かい合って座っている形を表現したものだ。
「さくら」を表すときに「坐くら」と書くことがある。これは、神々が集って座られている様子を表現していたのではないかと言われている。日本において、さくらは「花の桜」を意味するだけではないのである。
●田植えの時期を教えてくれる
「さくら」の名前の由来を、富士山の神である、コノハナサクヤビメ(木花之佐久夜毘売ほか表記はいろいろある)から来ているという説もある。また、田植えの季節に山から降りてくる神さま=「里おり」の神さまが休まれる場所、という言葉から誕生した(「さおり」+「みくら」)という説もある。「サの神さま」は神話以前から日本にいたようで、そんな桜の開花で、田植えの時期を古代人たちは判断していた。田んぼのそばに桜が植えられてきたのは、神さまが田植えの時期に滞在される場所が必要だったからである。
●桜の儚さを歴史と重ねてしまう
いずれにしても、古代から日本では桜には神がやどっていると考えてきたのである。今も、神社仏閣でみごとな桜を鑑賞できるのは、美しさだけが理由ではないのかもしれない。特に桜の持つ儚さのようなイメージは、その土地の歴史とともに語られると悲劇の度合いも上がるような気がする。例えば、この季節ニュースで必ず取り上げられる「上野公園」は、江戸で唯一、明治維新を迎えるにあたって血の流れた場所である。戊辰戦争のうちのひとつ「上野戦争」は、ここにあった徳川家の菩提寺・寛永寺を舞台に繰り広げられた。幕府側の彰義隊は壊滅、寛永寺は灰塵と化した。
また、信州の名所「高遠城址公園」は、甲斐武田氏が滅亡するきっかけとなった攻撃で玉砕した城であり、それ以前にも幾度も戦いの度に攻防の矢面に立ち悲劇を重ねてきた城である。もっとも有名なのは、大阪城だろう。今では全国のお花見ランキングで上位を争うほどの人気スポットとなっているが、豊臣家滅亡の象徴ともいえる場所である。五稜郭公園の1600本の桜の見頃はもっと先になるようだ。ソメイヨシノが植樹されたのは、箱館戦争から50年ほどのちのことだが、今ではミシュランの星を獲得するほどの景勝地となっている。
●人を呼び込む桜の魅力
桜があると人が集まり、土地が潤うのは歴史が証明してきた。東京北区の飛鳥山公園も桜の名所で有名だが、この地を開発したのは徳川8代将軍・吉宗である。江戸に庶民が花見できる場所が寛永寺くらいしかないことを鑑み、花見のできる場所をと飛鳥山に桜を1270本植えたのだそうだ。これは表向きの話で、飛鳥山の土手を固めるため、桜を植え、花見にくる人々の足によって土地が踏み固められることを狙ったことだったとも言われてる。桜は、今も昔も人集めには最高の品なのである。
昨年に続き、今年もまた、全国的に花見は自粛ムードが漂っている。桜の故郷とも言えるソメイヨシノの名の元となった、奈良の吉野山に桜が群生しているのは、修験道の開祖・役行者(えんのぎょうじゃ)がこの地で修行中、出現した蔵王権現を象った木が桜であったため、桜の木を神木にしたことによる。蔵王権現へ祈願する折、桜の苗が奉納され、神木ゆえ大事に手入れされつづけた結果、今では3万本の桜が生育している。まさに山全体が、桜に囲まれた神山と言える。
さて、歴史の記録もないころから、永く人と親しんでこられたさくらの神さまは、昨年・今年と短いハレの季節に、人出が少ないことを悲しんではおられないだろうか。それが少し心配である。