「『お母さん、なぜ私をアメリカ国内で産んでくれなかったの?』と母に詰め寄った。たった4年の差でアメリカ生まれでない自分、外国人である自分を心から恥じた」
アジア人の肌の色は変えることができない。しかし習慣や話し方など自分で何とかできる部分は、全て「白人風」を模倣した。その結果、高校を卒業する頃には、自らのアジア色を削ぎ落とすのにほぼ成功していた。
そんなリンが変わったのは、カリフォルニア大学バークレー校に進学してからだった。親元を初めて離れ、誰ひとり知らない環境で不安だった。孤独に疲れて、ふと「ベトナム人学生の会」の扉をたたいた。するとそこには、ベトナムの言語や文化や風習を大切に誇りにしている仲間たちがいた。彼らと接するうち、次第に考えが変わっていく。
「今まで母からベトナムのことを何度語られても完全拒否していたけど、他人からベトナム文化の素晴らしさを伝えられると、不思議と受け入れられた」とリン。彼女のホワイトウオッシュ化は、過酷な差別を回避するための自己防御策であり、さらに、アメリカ社会で白人が共有する特権に少しでも手を伸ばせるのではないか、という望みでもあった。
だが、実際は「アジア系はおとなしく白人文化に染まり、同質化してこそモデル(模範となる)・マイノリティーだ」という、誤った認識を助長してしまった面がある、と彼女は考えている。リンはその後、ベトナム難民たちがボートで祖国を脱出し、アメリカに移民してきた映像を見て驚愕した。
「ベトナムの親たちは子どもの将来の可能性のために、ここまで命がけで米国をめざして移民してきたのか、と」
現在、ライフスタイルやインテリアのインフルエンサーとして活動する彼女は「長い時間がかかったけど、自分がアジア系であることを、心の底から誇りに思えるようになった」と語る。だからこそ、米国で必死で働き、子どもに良い将来をと望んだマッサージ店従業員のアジア系女性たちが殺害された事件は、リンを激怒させた。
「私の母も壮絶な差別に遭ってきた。ベトナム国内では格差差別に遭い、移民したかと思えば、米国では人種差別に遭いっぱなし。どこでも社会の主流から常に端に押しやられてきた人生だから」