ミッツ・マングローブ
ミッツ・マングローブ
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※写真はイメージです (GettyImages)
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 ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、変わりゆく紅白歌合戦とリポビタンのCMについて。

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 時代とともに変わりゆくものもあれば、いつまでも変わらないものもあります。例えば、紅白歌合戦。87年ぐらいから紅白は意識的に「変化」を推し進めてきました。もちろんそれは時代とともに、世間の価値観が変わったからです。

 87年の紅白は、長年にわたり大晦日の定番だった三波春夫さん、島倉千代子さん、水前寺清子さんらが落選し、代わりにニューミュージックやオペラやシャンソンといった多様性に富んだ選考がされました。それは紅白にとって初めて芽生えた「自我」と言えるでしょう。子供だった私も「チータが紅白にいないなんて!」とショックを受けたものです。その年デビューした光GENJIすらも落選させ、とにかく「紅白らしさを排除したい」という焦りにも似た熱意だけが先走り、結局はどっちつかずの中途半端なものになってしまった87年の紅白ですが、個人的には「好景気に浮かれ、背伸びをしようとしていた当時の日本」が反映されていて好きです。

 80年代後半。その後も紅白は様々なチャレンジを試みます。88年を経て平成元年である89年には、それまでずっと21時からだった放送開始時間を19時20分からにして、番組を前後半に分けて大幅拡大。前半は「昭和の紅白」と題して、往年の大物歌手(藤山一郎・春日八郎・ペギー葉山・松山恵子・三波春夫など)を多数出場させた上に、引退・解散していた都はるみ、ザ・タイガース、ピンク・レディーを復活させるという超ウルトラCに打って出ました。一方「平成の紅白」ですが、89年の音楽界の目玉とも言える「バンドブーム」の面々(プリプリ・ブルーハーツ・ZIGGYなど)はほとんど出場せず。結果、この年を境に「昭和の名曲が歌い継がれていく」というフォーマットが定着していったのです。

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