元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。
* * *
さて「家を売る」話に戻る。
改めて、家の中を空にする大事業を総括すると、東京と神戸を2往復し、それぞれ2泊した。新幹線代のほか処分費と送料で約3万円払い、売れたのは大型アンティーク机(5千円)のみ。つまりは労多くして益全くなし。
でも損したという気持ちはゼロだ。自分にとって物を処分するとはどういうことかを身をもって知った。いつか死ぬ自分が物とどう付き合うべきかを考えることができた。いずれも実際にやって初めてわかったこと。人生後半戦を生きる上で、大事な軸のようなものが定まった気がする。
懐かしい街を再訪できたことも良かった。
作業の合間、散歩がてら街をうろついた。大好きだった店の幾つかがなくなっていた中で、変わらず営業している店の存在がとても嬉しかった。入っていくと皆さま驚き喜んでくれて、互いに健闘をたたえあった。店も人も「生きている」ということが何より素晴らしいのだ、それだけでスゴイのだという思いがフトこみ上げて涙が出た。
そう私はこの街を永久に去っていくのだ。みなさんさようなら。本当にお世話になりました。
……ところが。
売りに出した家が、全く売れない。
ちなみに現代においてどのように家が売れていくのかをご説明しますと、営業してくれるのはもっぱらネットである。ネットに物件情報を出し、興味を持ってアクセスしてくださった人の中から、ごく一部が不動産屋さんに問い合わせ、そのさらに一部が実際に物件を見に来て、そのさらに一部が具体的な売買交渉に入る。
ということで、不動産屋さんは毎週「営業レポート」でアクセス件数と問い合わせ件数を教えて下さるんだが、問い合わせに至るだけで超レアということがすぐ分かってくる。1件でもあれば「今週はお問い合わせがありました!」と励ましの一言が。大丈夫か? だって購入値段の5分の1ですよ。超お買い得ですよ。なのになぜ?(つづく)
稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行
※AERA 2021年4月19日号