石井さんの不登校のきっかけは中学受験の失敗。当時の心境については、AERAdot.の連載「ぶらり不登校」の「『受験失敗で人生が好転した』第6志望も不合格だった不登校新聞編集長が今伝えたいこと」に詳しい。
石井さんは1982年、首都圏のごく普通の家庭に生まれた。小学校4年生の夏休み、宿題もまったくせず、その日暮らしの石井さんの様子をみて、母親は「塾にいったら?」と提案。親子で塾を訪れると、スタッフが「この子は有名中学にいけます。将来は東大や早稲田に合格するような子です」と断言した。そこからレールに乗って中学受験にまい進していく。
「今振り返れば、完全に塾の営業トーク。しかし、それで親子で火がついてしまったのです」
そこはいわゆるスパルタ塾。成績順に並ばされては、下位の生徒には「見せしめ」に体罰が待っていた。長期の休みには、一日十時間勉強する合宿があり、講師は「偏差値50以下の学校に行くと人生は終わる」などと平気で口にしたという。
他人と成績を比べられ、がんばっても思うように成績が上がらない。疑問を抱いていたが、レールから外れられない。石井さんは追い詰められ、精神は限界へと近づいていった。異変は、ある時、万引きという形で現れた。無意識のSOSだったのかもしれない。気が付けば、石井さんはほぼ毎日、漫画やお菓子を盗んでいた。
「万引きは許されない行為ですが、あの時の僕はクレプトマニア(窃盗症)だったんだと思います。毎日万引していましたから。盗んだものは本当にほしいものだったかは疑問で、家に帰る前に捨てていました」
中学受験が終わると、万引きはピタリとやんだ。店に入って、商品棚を前にして、石井さんは「なぜ僕は商品を盗ろうとしたんだろう」と不思議に思ったことを覚えている。
■ 中学2年で不登校に 「僕は人生詰んだ」
一方、中学受験の結果はというと、第1志望から第6志望まで「全落ち」。連日のように母親が結果を見に行き、気まずい空気が流れた。第2志望の受験からはほとんど記憶がないという。
結局、地元の公立中学校に通うことになった石井さん。厳しい校則にもなじめなかったし、いじめも目の当たりにして、学校生活にストレスを感じるようになった。石井さんはその理由を「それもこれも自分が受験に失敗したからだ」と考えるようにった。