それはリーマン・ショック後のことだ。米シティグループが日興証券グループを手放す意向を示すと、三井住友は買収交渉に入った。担当幹部の一人が、経営企画担当の車谷だった。
交渉は三井住友と提携していた大和証券グループに内緒で進められた。しかも買収を公表してから知らせたので、蚊帳の外におかれた大和はカンカン。大和と日興を無理やり統合させようと考えたため、大和は関係を解消する騒ぎになった。大和は「やり方が高圧的」と難じた。
「率直に話してストレートな反発があったかもしれないが、決して高圧的ではない」
当時の奥頭取は、そうかばった。ただ、「交渉事務局には、日興と大和を統合して野村に肉薄する案もあったが、私どもに足らない部分があった」とも反省していた。
■10年たっても変わらず
東日本大震災では、キーパーソンとして振る舞う姿も見せた。東電の福島第一原発の爆発後、三井住友は通称「車谷ペーパー」と呼ばれることになる東電救済策を、マスコミ各社に流した。
政府は後に原子力損害賠償支援機構を設けて東電を支援することにしたが、その原型とも言えるアイデアである。だが、金融庁の森信親審議官(後に長官)は、こう語っていた。
「あれは銀行の案じゃなく、経済産業省が財務省と協議して作ったんです。それを自分が考えたって……」
森はこうも言っていた。
「車谷さんは、頭取に自分が作ったと言ってしまって引くに引けないのか。違うのだから否定すればいいのに、否定しない」
私が「策士策におぼれる、ですか?」と聞くと、「そう思う」と森は語った。
あれから10年経った。東芝の件を見るかぎり、彼は変わってないようだ。
退任が決まった日の夜。私は、くだんのマンションを訪ねた。彼は、ふだんより早い午後6時過ぎには帰宅していた。来意を告げたが、ずっと「電話中」だということで、取り次いでもらえなかった。
いつもの多弁は控え、沈思黙考。きっと次の策を練っているのだろう。(肩書は当時、敬称略)(朝日新聞経済部・大鹿靖明)
※AERA 2021年4月26日号