大阪箱寿司(写真/筆者提供)
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あぶりサーモン照りマヨ/台湾メニュー(写真/筆者提供)
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 みなさんは、お寿司といったらどんなお寿司を思い浮かべるでしょうか? 「やっぱり、にぎり寿司!」という方が多いのでしょうか。

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 にぎり寿司はご存じの通り、江戸時代に、せっかちな江戸っ子のために「早寿司」として考案されたものです。

 それまでのお寿司は、魚などを発酵させて作っていました。それが待ちきれないという江戸っ子のために、酢で酸味を出して、江戸前(東京湾)でとれた魚をのせて出したのが始まりと言われています。

 当時のにぎり寿司は、今のおにぎりくらいの大きさがあり、食べにくかったようです。そこで、あるお寿司屋さんが、食べやすいようにと半分に切って出しました。それが、お寿司が2貫で出てくることが多い理由なんです。

 お寿司には、にぎりのほかにも、ちらし寿司や巻き寿司、押し寿司などいろんな種類がありますね。

 筆者が子供のころ、岡山の実家で食べたお寿司といえば、お祭りなどのハレの日に食べる「巻き寿司」か「ちらし寿司」でした。実家で食べていたちらし寿司は、岡山県の郷土料理の「祭り寿司」だったと知ったのは、後に大阪に出てきてしばらく経ってからでした。

 祭り寿司のルーツは江戸時代。備前岡山藩主・池田光政が庶民に倹約を奨励し、食事は野菜中心の一汁一菜にせよとお触れを出しました。それに対し、庶民は魚などの具材を上にのせるのではなく、細かく切って酢飯の中に混ぜ込んで、「これなら一品だろう」としたことが始まりとされています。

 筆者の実家の祭り寿司も、小さく刻んだしいたけやレンコン、肉そぼろなどが酢飯に混ぜてありました。その上に岡山名物のままかりの酢漬けをはじめ、マグロやエビ、シャコ、イカなどの様々なネタが乗った現代版の「祭り寿司」でした。

 日本国内にはこのように、地域に伝わる伝統的なお寿司が無数にあります。みなさんも子供のころに食べた、懐かしい郷土のお寿司の記憶があることと思います。

 筆者が個人的に食べて覚えているのは、富山のます寿司や三重の手ごね寿司、奈良や和歌山の柿の葉寿司、そして京都などで有名なサバの棒寿司などでしょうか。

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岡本浩之

岡本浩之

おかもと・ひろゆき/1962年岡山県倉敷市生まれ。大阪大学文学部卒業後、電機メーカー、食品メーカーの広報部長などを経て、2018年12月から「くら寿司株式会社」広報担当、2021年1月から取締役 広報宣伝IR本部 本部長。

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