※写真はイメージです (GettyImages)
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 文芸評論家・長山靖生さんが選んだ「今週の一冊」。今回は『乱歩とモダン東京 通俗長編の戦略と方法』(藤井淑禎著、筑摩選書、1500円・税抜き)の書評を送る。

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 江戸川乱歩は日本で最も有名な探偵作家だ。今でも『怪人二十面相』や『少年探偵団』に熱中する子どもは多いし、初期の短編「心理試験」や「屋根裏の散歩者」「人間椅子」「押絵と旅する男」なども広く読み続けられている。

 では大人向けの長編探偵小説はどうか。『蜘蛛男』『魔術師』『黄金仮面』『吸血鬼』『人間豹』『大暗室』など、1930年前後から、探偵小説の執筆が実質的に禁止される39年までの期間に書かれた長編作品の数々は、当時、圧倒的な人気を獲得していたにもかかわらず、現在では少年物や初期短編ほどには読まれていない。

 著者は現代では比較的注目度の低いそれら1930年代作品を中心に据えて、乱歩の創作技法と当時の東京風俗を読み解いていく。

 大衆を惹き付けた乱歩作品の魅力は、名探偵・明智小五郎の人物造形や個性的な敵役、奇抜な事件に華やかな冒険などいろいろあるだろうが、物語の背景をなす帝都東京の発展や、そこに描かれた生活ぶりもまた大きな意味があった、と著者は指摘する。

 乱歩は23年に起きた関東大震災後のモダン都市東京を克明に書き込んでいた。たとえば明智小五郎は「一寸法師」(26~27年)の後、3年ばかり「支那から印度の方へ」旅しており、『蜘蛛男』(29~30年)は、その明智が東京に戻った直後に捜査に参加した設定になっていた。この時、明智はホテル暮らしだったが、事件解決後にお茶の水に建つ開化アパートに腰を据えた。このアパートは、当時の「東京案内」の類には必ずといっていいほど紹介された本格的な洋式アパートだったという。

 それは東京の庶民にとってだけでなく、ガイドブックや旅行を通して帝都に熱い視線を送る地方人にとっても、自分たちの生活と地続きの親しみを感じつつも、憧れを誘うモダンな住まいだった。また明智が結婚して新居を持ったのは六本木にほど近い龍土町。当時は閑静なお屋敷町で、明智邸はハイセンスな文化住宅だった。

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