チャーリー浜さんが亡くなりました。
【写真】「“ポストチャーリー”の育成」が必要と語る吉本新喜劇の座長はこの人
1999年から大阪のお笑い、そして、吉本新喜劇も至近距離から取材してきましたが、これほど後輩座員の皆さんからエピソードが出てくるベテランさんはいない。断言できます。
それはチャーリーさんが芸人としてオンリーワンで、存在感があったからこそ。
個性の塊のような人材がそろう吉本新喜劇の中でも、一目置かれる個性。何かしらのパラーメーターが振り切れているような芸人さんたちに「スゴイ」と思わせる生きざま。
芸人さんなら横山やすしさん。
俳優さんなら勝新太郎さん。
この令和の世の中にあって、昭和の芸能界の香りを多分に漂わせていた。それが知らず知らずのうちに“現代ナイズド”された今の新喜劇の皆さんにとっては斬新に映っていた。その帰結が、エピソードの量産だったと僕は捉えています。
「祇園花月の楽屋に若手のリュックなどが無造作に置いてあったら『邪魔になる!』と全力で蹴り上げる。リュックの舞い上がる高さで、その日のチャーリーさんの体調が分かる」
「20分ほどノリノリで電話をしていたので、久々に話す友達とかかなと思っていたら、最後に『おたく、どなた?』と間違い電話だった」
「楽屋に差し入れとして届いた弁当を家で食べるように持ち帰ろうとしていたが、座長の川畑泰史から『いやらしいこと、しなさんな!』とたしなめられた。とっさに『違うがな!ようできた弁当やなと思って手に取って見てたんや。見てみぃ、この弁当、フタついてるがな。そして、この細さもしゃれてる』と的外れな照れ隠しをしてその場を取り繕い、結果、スッと持ち帰った」
座員でも何でもない僕でも、まだまだ思いつくくらい、いろいろなエピソードがあります。
マイルド。スタイリッシュ。押し付けない。怖くない。踏み込まない。
今の新喜劇、否、芸能界全体を見ても、それが一つの是となっていると感じます。
その中にあって、異彩を放っていたチャーリーさん。シーラカンスやカブトガニが目を引くように、変わらぬ魅力というのは、今の時代でこそ、より光る。チャーリーさんという存在からの示唆は、どんどん値打ちが高まるものだとも感じていました。